2023年12月10日(日)晴れ (上)「喜瀬武原コンサート」会場:うるま市石川会館
「喜瀬武原」(きせんばる)は恩納村の北東に位置する字だ。喜瀬武原区ができて100年余りが経っている。1945年、米軍はここに飛行場を造り、1957年「キャンプハンセン」(金武町、恩納村、宜野座村、名護市に跨がる4978.5ヘクタール)として使い始めた。ここに県道104号線が恩納村安富祖から金武町金武まで約8km走っている。1973年から同基地内の第12砲兵連隊は、105ミリ、155ミリ榴弾砲の射撃演習を県道104号線の交通を止めて強行していた。砲座は金武中川の奥であり、104号や喜瀬武原を掠めてブート岳方面が着弾地となっていた。米軍の演習強行に対して、地元や民主団体は反対の声を上げていた。
この喜瀬武原闘争について、私は恥ずかしながら殆ど知らなかった。同時代の私は東京に暮らし、自治労青年部運動に携わっていたが、記憶がない。沖縄に通うようになって(1989年5月以降)から、部分的に知るようになったが、今日まで、まとまった文献を読んだこともなかった。この演習は1972年の沖縄返還後に始まっており、阻止闘争も当然、72年5月15日以降の出来事だ。奇しくもあのSACO(沖縄特別行動委員会)合意(1996年12月)によって、「沖縄の負担軽減」であるかの顔をして、「本土」の演習場(北海道矢臼別演習場、宮城県の王城寺原演習場、山梨県北富士演習場、静岡県東富士演習場、大分県の日出生台演習場)に移転されたのだ。米軍は、移送経費等を日本国(防衛庁・省)の負担で、実弾砲撃演習を大規模演習場で始めたのだ。
今回の「喜瀬武原コンサート」はあれからおよそ50年の歳月が経つ中で、1977年に刑特法被告支援のコンサート「海勢頭豊の世界」(77年12月12日)でギター演奏を務めた彼が思い立ち開催にこぎ着けた。私がこの催しを知ったのは、去る10月の「満月まつり」(大浦湾瀬嵩で開催)でのことだった。この時の私は、何か写すべきものがあればぐらいのノリで瀬嵩に行ったが、トリを飾った彼らを撮ることになった。思わず、改めてきちんと撮ろうと思った次第。
偶々9月に、私はキャンプ・ハンセンと嘉手納基地を案内する依頼が入り、2度現地に行ったことが背景にあった。自分は知らなさすぎたのだとの反省の念。
話しを2023年12月10日に据える。私は沖縄高速の石川インターでバスを下り、石川会館に向かった。駐車場から石川会館と覚しき場所に入る。正面に恩納岳が見えた。
これを撮らねばと思い、場所を探す。漁港を前景に入れて撮ってみた。10:28
正面が恩納岳(P362m)、右側の電柱の左がブート岳(P260m)。あの辺が着弾地になっていたのだ。因みに榴弾砲等の発射音は、発射音と着弾音が、2回唸るものだ(私は日出生台や東富士で聞いている)。私が沖縄に通い始めた当時、木々が薙ぎ倒され地肌があちこち露出していた様を遠目で見ていた。
そして会場に入り、リハーサルを聞きながら、コンサート仕様にカメラをセットした。
13:00 海勢頭さんが開会の挨拶に立つ。感慨はどれだけ溜まっているのだろうか。この歌を歌い続けなければならない時間が1977年から、97年3月に喜瀬武原での砲撃演習は終わった後も、延々とかわらない。
そしてキセンバル闘争の記録映像が約1時間流された。監督・制作などの表示はなかったが、1974年から77年までの記録がまとめられており実に貴重な映像だった。何台ものカメラを回し、編集しており、発射現場、阻止団の動きや、米軍や機動隊の動き、那覇での闘いなどを丁寧に拾っている。中でも米軍・機動隊の包囲を掻い潜る山中でのゲリラ的な動きを追う中で、食事の場面などもあり、当時の状況が伝わってくる。また後半での「本土」側のビビリズムによる運動への抑圧が始まる中での呻吟などもある程度捉えている。
私は当時のことを全く知らなかったので、もう「ごめんなさい」と言うしかない。これは「○○さん」(固有名詞だが、お名前を伏す)にきいてみるしかないだろう。だが彼も、この時既に現場指導をはずされていた時間だったろう。
休憩を挟み、当時、刑特法弾圧を受けた人らが語る。
14:20 座っている左から、糸数隆さん、仲村善幸さん、吉田勝廣さん、池宮城紀夫弁護士。
糸数隆さん。当時、マスコミ労協メンバー。沖縄タイムス記者。山中に潜入し、阻止行動の渦中で、刑特法で不当逮捕された(76年9月)。昔も今も沖縄は米軍基地に覆われ、差別され続け、今も辺野古に通っている。14:26
仲村善幸さんは、当時北部地区労メンバーで、やはり76年9月に不当逮捕された一人。97年にヘリ基地反対協議会を立ち上げた一人でもある。
14:27
人生を掛けてきて、今ここにある。当時から今へ、十分に語る時間がないのは、残念だ。14:28
吉田勝廣さん。金武町で生まれ育ってきた。金武町長や県議でもあった。14:33
彼は2016年4月28日夜に、米軍属(元海兵隊員)が犯した女性拉致、強姦・殺害・死体遺棄事件と向き合ってきた。この日のお話しは、もっぱら喜瀬武原闘争についてだった。
14:39 彼は、当時の写真を持ってきており、概況を説明した。
弁護団と言えば、この人。池宮城紀夫弁護士。14:56
弁護士だから淡々と語る。日米地位協定に基づく刑事特別法の案件だから、日本の警察・検察と、米軍海兵隊との闘いであっただろう。
当時を思い起こしながら聞くお3方。
それぞれの話が終わって。14:54
海勢頭さんが呼び寄せる。何だろう? 14:54
壇上に上がったのは誰だ? 花吹雪。14:55
突然の椿事に、私は戸惑いながら、これを撮らなければと撮りました。
島田正博さん。当時、共に闘っていた仲間だ。感極まっている。元被告は覚めた顔。そういうもんだと私は思う。14:56
「喜瀬武原」コンサートが始まった。14:58
左から、海勢頭愛さん(ヴァイオリン)、豊さん(歌・ギター)、みちささん(歌)、儀保ノーリーさん(パーカッション)
「喜瀬武原 空高く のろしよ燃え上がれ
平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
歌が聞えるよ はるかな喜瀬武原
皆の歌声は はるかな喜瀬武原
*闘い疲れて 家路を辿りゃ
友の歌声が 心に残る」(3番)15:00
作詞・作曲:海勢頭豊 情感がこもる。
因みに1番の「君はどこにいるのか 姿も見せず」の「君」は、山中で闘い、不当逮捕された君であり、72年5月15日以前にヤマトから応援に来ていた君であり、現場に姿を見せないうちなんちゅの君だという。
意味が深いようだ。
分断への、克服の祈りが込められている。
間奏でタンバリンを軽く叩くみちささん。15:01
「さとうきびの花」を歌う。15:06
15:08
15:15 ヴァイオリンがしっとりと流れる。
「赤腕の世直し」
15:16
15:20 趣が変わリ、艶やかに「コザキチロック」
ノーリーさんの笛が鳴る。15:21
「くるくるくる 燃え上がれ」15:21
15:21 私から見て、右奥で楽器に隠れてしまい、勢いが入ったタイミングしか彼を撮れなかった。申し訳ない。
15:22
15:22
(後半に続く)