先週来、私はブルービーチ演習場の追っかけに終始してきた。お陰で色々わかったこともある。カービン銃をもった兵隊が目の前に近づいてきたのもショッキングな事態だった。こうしたことをもって、「ブルービーチ」とか言っている米軍の感覚が軍事植民者の発想だと改めて痛感させられた。占領意識。彼らにとってここは、文字通りブルービーチであり、米軍(日本軍も)が演習に使え、同時にキャンピングもできる特権的な場所なのだ。これは戦後76年目の現実だ。
他方で、ここの取材に追われてきたために、浦添市長選の追っかけは殆どできていない。ここの最大の争点は西海岸の海・珊瑚礁の海を潰して軍港の移設を図るのか、止めるのかだ。ここの問題は大きくてかなり普遍性をもっている。自然環境を自然環境として有効に活かすのか、軍事基地にして残りを開発するのかは、あちこちで起きてきたし、起きてくる問題だ。人間が生きることに立つならば、自然を壊し、人間社会を壊すための軍事基地化に正面から反対することは理の当然だ。また辺野古・大浦湾の問題とも直結している。沖縄・琉球諸島の軍事要塞化に繋がる話しだからだ。
だから私は、伊礼ゆうき候補を応援している。皆も応援して欲しい。
力を正義とする米国、米国に追随する日本国は、「核兵器による安全保障」を掲げているが、原爆開発から生み出されてきた原発をも推奨してきた。原発による日々排出される処分不能な核のゴミや、核汚染を免れられない原発労働を放置したまま、大事故にあたふたしたままだ。福島では汚染水を海に流すつもりだ。環境汚染への「配慮」すらとろうとしない国。被爆国である日本は核兵器禁止条約にすら加盟しようとしていない。
ミャンマーで、軍事クーデターが起きたが、武力で民政・民主主義を捻り潰し、人人の暮らしを破壊することが堂々とやられている。米国はこうした動きに抗議の意志をしめしているが、所詮2重基準(民主主義と、力こそが正義)の同国に説得力などない。過去の米国はどれだけ軍事政権を支え、クーデターを煽動してきたのか。反省してきたのか。60年代のベトナム、韓国でも80年代まで然りだ。いや、日本に於いても、1945年の沖縄の軍事占領・基地化から戦後日本を米国の属国としてきたのだ。正にこの武力の陰で、日本経済の高度成長を果たし、乱開発と公害を垂れ流し、人人を死地に追い込んで平然としてきたのではなかったか。
私はミャンマーに於ける軍事クーデターに抗議する。人人の生きる道に立ち塞がることを認めてはならない。
森喜郎の驚くべき女性差別発言も、「日本は神の国」(2000年の発言)から通底したものだ。その神の国の時代、女性は無能力者にされてきた(大日本帝国憲法下の民法)。参政権も奪われていたのだ。それどころか皇国の民は天皇・国家に忠誠を尽くすのがあたりまえだと戦場に送り込まれたのだ。そんなおとこがオリンピック委員会のボスだということじたいが、この国の後進性を如実に示している。
女はごちゃごちゃ言わず、ついてくれば可愛いのだとばかりの歴史を総括できない、総括する気のない男たち。しかしこの問題は身に染みついているから簡単に解けない。戦後生まれの人間もそうした親(社会)から育てられてきたし、わたし自身もそうした世代だ。私自身も無縁じゃないのだ。不断の問い直しが問われている。
問題は多方面に繋がっており、ややこしくしている。いやだからこそ、きちんと考えれば、複雑に絡まり合った問題を解けるはずだ。努力を惜しんではならない。ということだと、思いを強くしている週末の朝。