これだけ沖縄に米軍基地があっても、住民は、実はよくわかっていないのだ。奴らは、何のために、何をしているのか。なかなか見えてこない。彼らが軍事機密だからと、なかなか表に出さないこともある。演習は部分、部分だし、沖縄島だけでないし、近頃では多国間演習も増えている。全体像を捉えることは難しい。
それに住民は、基地がどうのは、被害を受けてからしか動かない。落ちてこなければ、気にしていられない。日常だから。だから現象の重なりを見ていない。米日政府は、そこにつけ込んできている。まして今はコロナ禍の痛みが広がっている。
米軍に対してですら、そういうことだ。まして自衛隊のことを、よく言う人が大多数。家族に自衛官も少なくない。まして、自衛隊がやっていることを知らない。今現在、自衛隊が殺戮をもっぱらにする軍隊に如何に変わっているのかを知らない。
私は1990年代から自衛隊の追いかけをやってきた。色気のない追いかけだ。野鳥を追いかけ続けたかった。でもその蓄積が、多少今生きている。2001年の宇都宮駐屯地で見た地対艦ミサイルに仰天させられた。冷戦終わったのに、今これで迎撃? 時の政府は、「冷戦意識」から抜けていなかったのだ。
ずるずるとやってきて、この国がにっちもさっちもいかなくなると、敵を探したくなる奴ら。経済界はもちろん、政権幹部、高級官僚も。庶民も同様。朝鮮を中国を沖縄を、敵視してきた。被差別民を、「障害者」を、女性を敵視している。
矛盾は悪循環しているのだ。こうした差別が戦争を身近に引き寄せていく。もしも対中戦争になったなら、死ぬのは自分だと考えない。殺すのは自分だと考えない。沖縄戦では敵軍に殺されただけではない。日本軍によっても殺された。沖縄にのし上がってきて、人の土地で戦争やって、戦場にしておきながら、「お前はスパイか、スパイダ」と殺していたのだ。ガマの中に隠れていれば、子どもが泣き出せば、「出て行け」と追い出された。もうダメだ、「降伏するな!」と、もしも捕まれば、男は体を剥がされ、女は強姦されると、脅されて、逃げ場を失い、「自決」(殺し合いを含む)を強いられたのだ。
もう一度同じような戦争を準備している(「島嶼防衛」戦争)この国を、私は容認できない。悲しんでもいられない。虚しく思っていても始まらない。沖縄から声をあげていこう。そう思いながら、今一本の原稿を書いている。