ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

未だ新聞を読んでいないが(20201027)

2020年10月27日 | 自治・自律
 おはようございます。24日夕刻、帰宅。まだ新聞を読んでいない。核兵器禁止条約が来年の1月発効となったり、首相が所信表明演説を行ったり、沖縄で新型コロナにかかる人が増えているようだ。また、1996年12月のSACO(沖縄特別行動委員会)合意の検証を市民団体が県に申し入れを行なった。
 未だ新聞を読んでいないので、沖縄に於けるこの7、8日間のことを把握できていない私だが、上記の動きが出たことを評価したい。正に今回私が米子で、広島で話してきたことだから。この四半世紀に及ぶ問題は、戦後75年の沖縄と日本を貫いた棘となっている。
 今回の旅で、沖縄と「日本」の繋がりを尚一層意識した。2010年に徳島空港も境港の空港も滑走路が2500mに延びていた。これは偶然なのか。これらの空港は軍民共用空港だ。ボーイング747のような大型機の運用が見直される中での滑走路の延長は無駄な投資だろうに。自衛隊の使い勝手の向上とみただけでは、腑に落ちぬ。米日一体での戦争にむけた軍事展開への準備と見るしかないだろう。
 こうした動きが、与那国島・石垣島・宮古島・奄美大島のみならず、始まっていたのだ。1996年4月17日の「安保再定義」による大きな時代の転換点を私は強く意識する。沖縄が発する警鐘を、もっと日本中で真摯に読み解かなければならないはずだ。こうしたことをある程度可能としてきた日本の政治勢力(社会党-総評、社共共闘)が失われて久しい。94年の小選挙区制の導入は決定的だった。
 新生立憲民主党が、できるのか? 共産党ができるのか? 愚図な国民はどうするのか。
  
 米国にすがり軍事国家を目指す日本。経済の中味はみごとに空洞化している。ごく一部の企業・個人が大儲けする新自由主義の隙間風をまだ感知できない多くの日本人。そこにコロナ禍がやってきた。JALもANAも大幅赤字。航空産業は、もはや軍事産業の度合いを露骨に深めていくだろう。軍事力ではコロナ禍と対処できないが、コロナ禍にあっても、一部の人達は儲けることはできるのだ。欺瞞の言葉を持って、誤魔化しながら。これが安倍政治であり、管政治なのだ。
 
 コロナ禍が進む中で、沖縄はいったいどうするのだ? コロナ禍に対して防戦に追われているだけでは、ダメだろう。守りを固めながら、観光立県のあり方を見直さなければ、ダメだ。基地と観光の共通点は外部依存だ。自前の経済・文化・自然を半ば無視してきたのではないのか。「中央政治」に振り回される政治を脱却しなければならないはずだ。コロナ禍にあってこそ、見えてくる新たな人間関係をデジタル化にではなく、新たなコアな関係を作り直しながら、再興できないか。
 闘いの境域はゲート前だけではない。私たちの日常生活圏にあるはずだ。だからこそ、日常の生活圏に五感を磨きながら向き合い、沖縄の新聞に目を通していきたい。


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