ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】これからの沖縄で私は何をやっていくのか?(20230409)

2023年04月09日 | ヤマヒデの歩み

◎やっとまとめました。新たな一歩に向かっていくための試行錯誤の一歩です。

●2021年7月末日をもって私は、辺野古テント村から離れた。私の努力が足りなかったこともあるだろうが、ヘリ基地反対協議会幹事会との信頼関係が崩壊していることを確認せざるをえなかったからだ(2021年7月)。それから1年8ヶ月の間、苦しい混迷の道のりを歩いてきた。「これからの沖縄で私は何をやっていくのか(23年4月9日)」を漸くまとめた。
 なお私が、今まとめることにこだわっているのは、自身のこの先は短い上に、状況の変化が予断を許さないと危惧しているからだ。無駄の少ない人生を送りたい。
 皆様方のご理解と、ご協力をいただければ、大変ありがたい。

Ⅰ:これまでのこと、そしてこれからの指針
(1)経緯(略:以前の文書「私は、これから沖縄で何をやっていくのか?(改訂版)」―2021年9月25日記―参照)

(2)何故、デッドロックに乗り上げてしまったのか?
 これまで沖縄で暮らしてきた私は、「辺野古テント村のヤマヒデ」だったのだ。その意味するところを私は把握できていなかった。ここが最大の弱点だった。
 ここに気づいた後も、容易に打開する術をもてず、苦慮してきた。しかし、私(たち)を覚えていてくださる方もあり、大いに励まされた。私の2013年10月から「辺野古テント村」で始めた活動は、無意味ではなかった。そう前向きに考えたい。
 以下は、この1年半の試行錯誤を踏まえ、新たに出直すために私の考え方を整理したものだ。
 
(3)沖縄に関わる私の基本姿勢(私のリーフレット「写真を撮る人」の3指針。以下転載)
 
①「沖縄と向き合うのは、私と私たち「日本人」が自戒し、再生したいから
 33年間私が沖縄と関わる中で気づかされてきたことは、私たちの無知・無関心・不勉強が沖縄を「基地の島」に固定化させ、加担してきたという現実です。「平和憲法」と言われてきた日本国憲法は、第1章「天皇」から。日清戦争以来繰り返されてきた侵略戦争を問わず、各自の自由な思考を奪う仕組みとしての天皇制。また、沖縄は、「皇国の防衛」のために焼き野原にされ、沖縄民衆はスパイだと惨殺されたり、「集団自決」に追い込まれていきました。この頂点に君臨していたのが、「神聖にして犯すべからず」の天皇です。日本国憲法第1章は「天皇」条項。戦後77年、沖縄の「日本復帰」50年が経過しても米日核安保体制が日本国憲法の上位に君臨し、民主主義は死に体に。国会すら無視されています。 
 私が自分世代の責任を問い続けます。1960年代末から1972年のベトナム反戦運動の中で、この国と切っても切れない沖縄の現実を「異国」だからと、日・琉の歴史を視野に入れていませんでした。これは欺瞞では済まされません。私は沖縄と関わり続けます。微力でも、無力でないと信じ、歩き続けます。

②沖縄と係わるのは、地域の、地球の自然を守るため
 私は沖縄に住み始め、沖縄の自然に新たに出会い直そうと考えています。琉球諸島の島々は地球上で唯一無二の温暖で湿潤な亜熱帯の海と森の環境を構成しています。私はなんとか島々の自然を間近にみたいと思いながら、「基地の島」に閉ざされています。大浦湾の海草やジュゴンは、その最大の被害者です。
 このまま「基地の島」に縛り付けられたままでは、琉球諸島の自然は、生き延びていくことはできなくなるでしょう。シマに生きているのは、私たち人間だけではないと、私は自覚し直します。
 人間が生み出した近代科学技術は原爆や原発を頂点に取り返しのつかない破壊をもたらしています。気候危機が叫ばれる今も、人間は「万物の霊長」などという思い上がりを克服しようとする気配は、大国の中からは生まれ出ていません。

③沖縄と係わるのは、「島嶼防衛」なる戦禍をもたらす事態を避けるため
 日本政府は、2010年の「防衛計画大綱」確定後、内々に中国を敵視する政策に転換しました。米国は、対中戦争を準備しながら、これまで日本に「地域限定戦争」の先鋒を務めろと言ってきました。このための準備は沖縄島・琉球諸島ばかりか、日本全体で様々に進んでいます。米国は対中戦争を遙か遠くから地域限定戦争に押さえ込むと考えてきましたが、2021年4月の米日首脳会談で「台湾有事」まで飛びだしました。2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略戦争は核の脅威が露わになってきました。そして日本政府は「専守防衛」の看板を変えないまま、「敵基地攻撃能力」を持つと明言しています。明らかな〈矛盾=欺瞞〉です。
 『台湾有事』となれば、この国は与那国島から北海道まで瞬く間に戦時体制に覆われます。琉球諸島を戦場にすると想定されてきましたが、21年8月、勝連半島に対艦ミサイル基地が造られると報道されました。事は琉球諸島全体に及び、アジア全体に波及していくでしょう。そして岸田政権は2022年12月「安保3文書」を閣議決定。ここに「国民」を黙殺する「米国の犬」としての本性が露骨です。
 私は、如何なる国の大国主義・覇権主義に対しても、明確に反対。日本国の侵略の歴史を凝視し、不戦を掲げます。人々の希望を不戦に見定め、対話を広げていきます。(2023年3月12日改訂)」

 私はこの3指針を基に、ただの「写真を撮る人」(2023年3月12日改訂)を基調としてやっていく。以下少々補足。

(4)補足―何を踏まえ直すべきか?
 ①私を問い直す
  主語は「私」だが、これが肥大してしまうと、「俺が」になって偉そうになる。自分の中での問いかけと、他者との議論を伴い、主体化と相  対化(問い直し)を繰り返しながら前に進みたい。

 ➁今を生きるということ
  今をより確かに生きる為には、常に歴史的な問い直しが不可欠だ。それも多面的に(琉球史と日本史など)、不断に問い直し、より確かに生 きていきたい。こうしたことにかける能力は手間だが、ひとつひとつ考えることが結果に繋がるはずだ。
 
③人として生きる
 私たち人間は《生きもの》だ。命を営みながら限りある生を生きており、また社会を作り集団で暮らしている。生きているからこそ私たちは、笑いもあり涙もあり、嬉しくもある。私たちは決して機械ではない。

(ア)そして人間は特殊な生物だ。他の動物のように本能で生きているわけではなく、生まれた後に獲得する経験・学習が良くも悪くも大きく物を言う。ヒトの知的能力の高さを振りかざし、「万物の霊長」などと自惚れる向きもあるが、《生きる》ための道を踏み外す欲望も大きい。だから大変な矛盾・葛藤を抱えてしまうのも人間だからだ。そのうえ人間の社会は、同じ種(ヒト)でありながら、了見が狭く自国・自民族を優越するナショナリズムがはびこりがちだ。また、ひとりの個にも善意と悪意が同居し絡まり合っている。時に優越意識・差別意識が頭をもたげ、戦争ともなれば、人間の悪意がぐるぐると渦を巻き、露わになる。だから常に自戒が必要だ。

(イ)人間はめざましい経済力の発展を獲得したが、これもクセモノ。巨大な科学技術を獲得したものの、これを「万全」だと思い込み十分にコントロールできていない。できないものを「できる」とする過信。それでも科学者・専門家は「予見可能・コントロールできる」と信じ込むきらいがあるようだ(近代科学の陥穽)。
 こうした限界を抱えているからこそ、私たちは謙虚に生き、お互いを尊敬しあえる人類の、人と人がつながる心を育まなければならないはずだ。これができなければ、強者・強国の「●●ファースト」が世界にのさばり、武力で勝つことを「正義」と主張し、挙げ句の果てに破滅への道を転げ落ちることになる。だから私たちは、「人として生きる」ことが常に問われている。

(ウ)「人として生きる」ために戦争と向きあう
 今も世界のあちこちに争いの基(もと)がごまんとあり、「弱肉強食の世界」が広がっている。現に世界各地で今日も戦争は現在進行形。武器弾薬が商売になり、軍隊があり、戦う勝機があるかぎり、戦争はなくならない。科学技術による破壊力が巨大化されてきたことを鑑みれば、自滅への道を歩んでいると言うしかあるまい。あるいは代理戦争を行なうことで、第3者を徹底的に殺し、自分たちだけは巨大な利益を得たいという悪辣な連中をこれ以上のさばらせていいのだろうか? いい訳がない。
 今日の日本では、「韓国・朝鮮が悪い」という政府がある。ヘイトがはびこり、軍事機密が増え、報道はスカスカになり、この国の侵略史を忘れ去り、重要なことが隠されていく。私も忘れかねないのだ。ご用心。
 戦争は何故恐ろしいのだろうか? これは個人と個人の間で起こる単なる殺し合いに留まらないからであり、国家を挙げた総力戦となるからだ。法令は無視され、理性や道義は蹴っ飛ばされ、めっぽう残虐性が組織され、発現されていく。例えば「殺しつくし焼き尽くし奪い尽くす」と言われた「三光作戦」、例えば731部隊のような人体実験、例えば性暴力を兵隊に煽動しながら戦争マシーンに駆り立てた日本軍慰安婦制度などなど。
 こうした現実を見たら、「人間に良心・理性なんてほんとにあるの?」との根本的な疑問にとりつかれてしまう。しかし同じような過ちを繰り返さないために、私たちは「戦争だったから致し方なかった」と考えてはならない。
 私たちは、過去の歴史から学び考え直さなければならない。私たちの気づく力はとても鈍いが、鈍くされているのだ。例えば、1941年12月8日(前後に)、日本軍は真珠湾攻撃等を強行し戦争をエスカレートさせた際の日本の巷では「ヤッタ!大日本帝国万歳!」の大騒ぎだったようだ。当時の日本は中国への侵略戦争に行き詰まり、戦争を継続するために資源を求め、アジア・太平洋に戦域を拡大した。時の天皇・政権・軍部は結果を見えていただろうに、この流れを止める人が誰もいなかった。軍事経済という麻薬に溺れていたのだ。天皇を頂点とし、軍部を実行部隊とした全体主義は、一個のゴールだけを追求したのだ。このため人々は、騙され、或いはすすんで無謀な戦争に駆り出されていったのだ。戦争反対の声を上げる口は完全に封じられていた。
 あの当時、「兵隊は鴻毛の如し」(人の命は鳥の羽より軽い)と言われていた。戦死したら「●●の命(みこと)」と靖国神社・護国神社に勝手に「神」にまつりあげられていたのだ。これが78年前の日本だ。
 沖縄では、沖縄の住民をにわか仕立てで兵隊にし、爆弾を胴体に巻かせ、戦車に突撃させ(自爆死)、逃げ惑う住民を「スパイ」だと疑って多くの住民は殺された。そして絶対に人質になるなと「自決」を強いられた。集団強制死をあちこちで強いたのが天皇の軍隊であり、戦争だ。
 日本という国家が沖縄の住民に強制したのだ。反省のかけらも示さないまま、教科書から消し、なかったことにしている。過去のことを無神経にやり過ごせば、もっと大きな悪が露呈しかねない。私たちの「人間性」には悪(悪魔)が同居していることを自覚していなければなるまい。
 私は、ひとつひとつの事実に、一人一人の体験に正面から向き合いたい。私たちが人として生きようと考えれば、過去と現在を紡ぎ、「国家挙げての戦争」と向き合う以外にないだろう。新たな戦争がひたひたと浮上している今こそ、こうした取り組みは、益々重要になっている。

Ⅱ:これから私が生きていくために(基本的な事柄)
①今、この時空を自覚しながら
 人間が生きていくということは、そこに良くも悪くも、社会をつくり歴史を作っていくことだ。私たち「日本人」が沖縄に関わるとき、如何なる社会と歴史を作っていくべきかに自覚的でありたい。そうでなければ、無責任になり、間違いをおかす。日清戦争以来の侵略戦争が、飽くなき海外膨張、植民地支配を拡大し、挙げ句の果てに沖縄戦に至ったのだ。そして沖縄は、米国による軍事占領を受け、アジアにおける米国の軍事拠点にされたのだ。
 沖縄を切り捨て、米国の軍事占領を踏み台にした「戦後日本国家」は、実はここから出発し、今再びふんぞり返っている。「安保3文書」は、この路線を地で行っている。私たち「日本人」の「常識」を問い、「良識」を問い直さなければならない。私たちが歴史を顧みなければ、この国は落ちていくばかりだろう。ただ落ちるだけならともかく、沖縄や旧「植民地」をますます無茶苦茶にし、対立を深めていくだろう。
 私は、これまで歩んできた時空を想起し、今の沖縄の時空を想起し直し、これからを生きたい。

➁今大切なことは何か
 「日米地位協定は日本国憲法の上位にある」と指摘されている。現実をみれば、日々(悔しいけれど)実感できることだ。但し、地位協定の「文言」と「実態」の違いに着目しなければならない。米国政府・米軍―日本政府―沖縄の上意下達の3層構造が透けて見える。これは、事件・事故が起きてから見えてくるのだが、実は不断に、構造的にそうなのだ。
 ということは、これに対する沖縄の構えが、事が起きてから抗議するだけでは遅い(弱い)のだ。常に原因を考察し、対処方針を人々が連携し、市町村・県が準備していかなければ、米日の力の前に太刀打ちできない。
 この上に立って、私は現在進行形の新基地建設や、「島嶼防衛」などの問題を見極めたい。軍事演習から、軍事動向まで見極め、抵抗の闘いにつながりたい。
 もしも中国との戦になればどうなるか?! 沖縄が戦場となり、またたくまに日本中が戦禍にまみれていくだろう。核戦争もありうるだろう。米・中が共に先制使用を可としている。各国共に核兵器禁止条約を批准していない。
 沖縄・琉球諸島を戦場にさせないことを第一義に、米国等の「同盟国」に、中国等にも対話と交流を求めたい。「抑止力」の強化・敵基地攻撃能力の整備は、はてしなき軍拡競争・軍備拡張となるだろう。人々の命の営みを切り捨て、全てを軍事力に集中していくだろう。過去の過ちに気づかないこの国(国民)は、このままでは滅びていくに違いない。しかし彼らに「最も危険な場所」に特定されているのが沖縄・琉球諸島なのだ。こうした歴史の不条理を私たちは忘れてはならない。

 だから私たちは、沖縄・琉球諸島の自律を求め、「如何なる覇権主義をも許さない」と言うべきだ。こう言い切れる気概と、そのための態勢・哲学をつくりたい。「抑止力」にあらず、平和外交で、争いの関係を私たちの不戦と対話を通して克服したい。

③私の出発点は、ここからだ!
 一も二も、三も撮影からだろう。私は歩き、考え、撮ることを通じて、新たな着想を掴みだしていく。自然写真も報道写真も同様だ。沖縄が置かれている状況を明らかにし、住民の視点に深く立ち、命の営みを活写する。

④ここで重要なことは、沖縄から「日本国」・「日本人」(日本民族)に返していく視座を定めていくことだ。お互いの接点に拘り、可能な限り問題提起に務めたい。

⑤発想の軸足について
 政治・哲学、軍事学、経済学、社会学、生物学・生態学、写真・芸術を中心に学び直し、実践していく。フォト・ジャーナリストの仕事に踏み込んでいく。

Ⅲ:これから私が生きていくために(各論の糸口として)
①写真・撮影・表現方法
  新基地建設への抵抗・「島嶼防衛」への対抗・不戦への可能性を持続的に追求する。生きものとしてのぎりぎりの選択を追求する。
 従前どおり、ブログへの掲載を軸にし、写真展や著作化も検討し、課題にそった撮影に力を注ぐ。

➁自然との関わり
 辺野古・大浦湾にジュゴンの生存が再確認されたようだ。底生動物や野鳥も含む調査を行ない、自然との関わりをひろげたい。やんばるの森の価値についても再考し、北部訓練場の全面返還に私も寄与したい。2016年の「返還地」の米軍危険物等の放置を許すわけにはいかない。今後取り組みたい。やんばるの海も森もやんばるのものだ。

③不戦・対話・討論
 撮影時、依頼時など、可能な限り、沖縄の基地・戦場(いくさば)の蓋然性を沖縄県内外の人々に伝えたい。そのための協力は惜しまない。必要なレジュメの作成を進めたい。

④市民と共に考える「平和のための軍事研究」
 去る3月29日に漸くうるま市島ぐるみ会議に依頼され、問題提起を行なった。可能な限り続け、広げていきたい。このためのフィールドワーク、実地調査が必要だ。

⑤ヤマヒデのHPを開設―宣伝と協力関係
 日々の結果はブログに挙げていく。
◎ブログ:「ヤマヒデの沖縄便りⅣ」
新たにHP(ホームページ)を作成し、訴え、沖縄内外の人々との協力関係を作りたい。

⑥地域の取り組み、友との取り組み
 未だに、砕けた関係が負になったままだ。個々人との関係を作り直せる人から直し、また新たな協力関係を作りたい。従来の友とも新たな友とも、ウィン・ウィンな関係に努めたい。

⑦重要な補足―自活のために
 動けば動くほどお金がなくなった。絵はがきの販売、ブックカードの制作・販売、写真の販売など、対応できることは何でもやりたい。沖縄の自立のために苦労されている個人・団体に協力したい。基地・平和ガイドもやりたい。軍事VS自治などの市民講座の開催に向け、ひとつひとつ信頼関係を育みながら、前に進めたい。

⑧取材費等のカンパをお願い致します。
 取材費が尽きて四苦八苦。島々にも行けない日々が続いています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
◎振り替え口座 00150-0-610793 フォトプラザ・ヤマモト(郵便局)
◎ゆうちょ銀行 (略)

《ヤマヒデの問い合わせ・連絡先》
◎電話 (略)
◎ファックス (略) 
◎メール pzyamahide(アットマーク)lemon.plala.or.jp

 

 



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