ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

「文化国家日本」は、所詮、幻(まぼろし)だった(20210528)

2021年05月28日 | 考え直すために

 私は、本日も演習の追いかけで出かけたが、不発だったので、早めに帰宅。気になることがたくさんある。早急に考えないとならないこともたくさなる。

 共産党の志位委員長がIOCを批判していた。IOCが東京オリンピック開催を明言し、押しつけるなど許されないと。日本を植民地扱いしているのかと、怒っていた。私は、ある意味同感するが、ある意味全然同感できない。戦後の日本は米国の植民地のようなものであり、言いなりになってきたんじゃないの。そこにIOCが一枚かんだだけでしょう。

 その象徴的な存在が沖縄なんだがな。志位さん、案外分かっていないね。沖縄に対しては、米日共犯体制でやってきた。オリンピックについては、IOCと日本政府の共犯体制だろう。儲かるためなら恥も外聞もない。感染が広がろうが関係ない。責任を端からとるつもりなしだから。

 はなしはやや飛ぶが、この国のコロナ禍の対策は飲食店への規制に傾斜している。補償はしないが、20時まで。店に潰れろと言うに等しい暴挙だ。それでも小遣い銭をだすという。一方で映画・芝居・音楽などの文化方面には、協力しろだけ。これは政府がケチなだけでなく、そんな業界は潰れろいいたいのだろう。国に楯突く輩など切り捨てよと。

 そういえば、1960年代半ばまでは「文化国家」などという呼び方があったきがする。私も1960年代にそんなことを書いたことがある。恥ずかしながら。

 これがファシズムという奴だな。戦争することはひとり一人が文化を育むことを拒否するに違いない。「前へ、ならえ!」に集約していくのだ。私は私を余程意識していないと、自前の文化は潰されていく。だから、ひとり一人が文化を創り出す気概をもたねばならないのだ。

 私はオリンピック強行の先に次の戦争をみているので、オリンピックを潰さないとならないとみている。オリンピックの大義などなくなって久しいが、だからこそ金儲けが一番!

 「文化国家」等と言うことは所詮、付け焼き刃だった。国家が文化を体現できるものでないからだ。補助はできてもね。帝国主義とは罪深いものだ。文化とは属人的なものなのだ。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。