ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】2014年から10周年に、性暴力事件が重なる中で(20240706)

2024年07月09日 | 辺野古・大浦湾

2024年7月6日(土)晴れ

辺野古のキャンプ・シュワブ第1ゲート前へ。沖縄高専入り口のバス停から名護市市街側へチョット戻る。

フェンスの奥に辺野古ブルーが広がっている。10:30

この基地とのギャップに目眩がしてきそうだ。

国道329の下にあるシュワブ演習場に向かう道。奥に排水管が置かれている。10:31

これも辺野古美謝川の付け替え工事の一端だろう。

西側の基地の丘に登る。

基地を包囲する行動が行なわれているようだ。10:35

辺野古ブルーとキャンプ・シュワブの統合軽戦術車両群。10:35

10:37 第1ゲート前。今日は人が多い。あたりまえだろうが。私も忘れずに来たのだ。

ベース側でスタンディングが行なわれている。10:38

フォトグラファーも多いようだ。

第1ゲート前で。民間ガードマンや軍警備員も多い。10:40

基地包囲行動。10:40

ゲート前でのオレンジライン(基地内外を分けるライン)を巡る行動。PMOは軍警。Yナンバーの車両が出てくる。10:41

10:43 

10:45 奥には米兵が警備に付いている。

土曜だから米兵の出入りが多い(2台ともYナンバー)。10:48

抗議集会が始まりそうだ。私も反対車線に渡る。

 

冒頭に、6月28日に安和でダンプに追突され、亡くなられた警備員さんに対して、黙祷が行なわれた。

10:59 開会の挨拶。地元名護の稲嶺進さん。オール沖縄会議共同代表。ここで、座り込みが始まり10年だ。2016年4月28日の女性暴行殺人事件、同年12月、名護市安部にオスプレイが墜落し、17年、高江にヘリが墜落炎上、などと時系列に沿って事件・事故史を再確認した。そして昨年12月、米兵が誘拐暴行事件をおこしていた。6ヶ月に亘って、日米政府が隠蔽してきた。これでは日米による植民地支配と言わざるを得ない。名護市安和で交通事故も起きた。全てが政府によるずさんな計画と強権政治のなせるわざだ。我々は負けるわけに行かない、諦めない。

 続けて玉城デニー知事からのメッセージが代読された。座り込み開始から10年となり、皆様の辺野古新基地反対に対する強い思いと奮闘に心から御礼申し上げる。私は先日、政府に在沖米兵による性的暴行事件への抗議と再発防止、綱紀粛正、県と地元地方公共団体への通報連絡を徹底するよう申し入れた。にもかかわらず、翌日には那覇市で在沖海兵隊員が逮捕された。米軍の中で綱紀粛正が行き届いておらず、ゆゆしき事態であり、激しい怒りを覚える。このような犯罪は、女性の尊厳をないがしろにする重大かつ悪質なもので怒りを禁じ得ず、県民に強い不安を与えるものだ。再発防止に向けて、政府関係機関と連携して進めるとのメッセージだった。

11:10 話しを聞いているだけで、目眩がしてくる。頭上を見上げながら、木々に覆われた狭い空を見る。

本部島ぐるみ会議の代表は、先日起きてしまった安和での事故を報告した。安和港の出口は、歩道であり、当然運転手側が確認すべきだ。にもかかわらず、ガードマンがダンプを誘導しており、ありえない。被害に遭った人は、このとき、牛歩の最中ではなく、車の数を数えていたという。11:12

11:14 ヘリ基地反対協議会共同代表の浦島悦子さんが挨拶。2014年の7月1日、安倍政権は辺野古・大浦湾に臨時立ち入り制限区域を閣議決定した。こうして辺野古沖の埋め立て工事を始めた。その7月1日は、併せて、集団的自衛権を閣議決定で合憲化させていった。あれから10年の中で、嘉陽のおじいが亡くなり、また、翁長雄志知事が亡くなった。それぞれ忘れがたい言葉を残されと紹介した。私たちはこうした流れに対して闘い抜いてきたが、代執行までやられてきた。諦めることなく、頑張ろうと呼びかけた。

照屋寛之うるま市島ぐるみ会議共同代表は、勝連分屯地への対艦ミサイル部隊の導入反対運動を振り返り、縷々述べられた。勝連と辺野古の闘いの連帯が問われており、諦めることなく前を向いていこうと語られた。11:23

南部の島ぐるみ会議の皆さんが、それぞれこの10年を奮闘し続けながら亡くなった方々を哀悼の意を示し、今後も闘い抜くと語られていた。それぞれ闘いは引き継がれていくのだ。

11:34 その間、この看板が、集会参加者を励ましていたと思う。

山城博治現地闘争部長は、この闘いは、まだまだ続くだろうが、心折れることなく必ずや勝利するまで闘い続けると毅然たる発言。県民は一丸となって、シマジマを超えて基地を造らせない取り組みに向け、改めて決意を固めようではないかと、呼びかけた。11:47

11:55 糸数慶子オール沖縄会議共同代表は、1995年の北京で開催されていた世界女性会議と、9月4日の少女への米兵による性暴力事件を振り返り、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の一人として会を結成した。基地があるが故に女性への暴力が起きている現実を日米政府に訴えてきたが、どう変わったのか。益々酷くなっている。

 95年の時、私たちは米兵の身柄引き渡しを求めたが、今回は警察がそれをしなかった。警察は住民の命と暮らしを守るべきであり、今回は警察がそれをしなかった。それを放棄する事は主権の放棄だ。

 私たちは米軍の綱紀粛正で本当に事件事故がなくなるのか、みていかなければならない。被害にあった人に日米両政府がどのようなケアと補償をしていくのか、見続けたい。

 心が痛くなる発言だが、一言一言の裏にある意味を想起しながら考えるべき事だ。分断の壁を如何にしたら乗り越えることができるのだろうかと、私は佇むばかりだ。

12:04 安和で重態を負われた、お姉さんが毅然と発言された。二度目の10時間に亘る手術を経て、生を取り留めているが、まだ安心していられないと医者から言われているという。複数の目撃者証言と、本人の記憶の中から着実に事実関係を明らかにしていきたいと言う。生き抜いて欲しいという叫びを私たちは、聞いたのだろうか。

 こうした叫びを聴き取れるか否かが、過去と今を問わず、私たちに問われているはずだ。聞き流してはいけないことを、もっともっと丁寧に、考えたい。

 次に国会議員3名が登壇。屋良朝博さん、伊波洋一さん、赤嶺政賢さん。伊波さんは、1997年に日米が合意した「事件・事故発生時における通報手続き」に違反すると指摘した。外務省は米軍と調整し、この問題について態度をかえたのではないかと、問題視。政府は5日、地元の自治体に伝達する方針を示したが、政府はこれからも隠蔽するだろう。沖縄から意見が出ないように押さえつけるもので、国会の場で明かにすると語った。

 県議会議員も紹介され、喜友名智子さんが語った。

最後に元自民党員だった金城徹さんが、締めの挨拶と団結頑張ろう! 12:25

暑さの中、時間が押したが、私たちが反芻すべき課題が詰まった集会になった。煮詰めて、煮詰めて、形にしていこう。

 

 



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