ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

那覇軍港に潜むばかりの米軍海兵隊(20220211)

2022年02月13日 | 辺野古・大浦湾

2022年2月11日(金)曇

この一連の演習日程2月8日から数えて4日目。因みに2月11日は米国の暦ではノーマルな平日だ。私は、演習はこの11日で終わり、12日は後片付けだと考えていた。

だからこそ私は未明から張り付いていたが、これといった動きはなかった。潜むばかりの海兵隊だったのだ。

那覇泊まりだったので、現地到着06:40。まだ暗い。

06:50 明かりが付いた。彼等の起床時間だ。建物の左サイド。

対岸のフェリー乗り場にはAラインが着岸中。7:03

07:15 建物の左側に2台の海兵隊のトラックが停まっている。

2階の端のパトロールポイントに2名がいる。7:44

同じ場所。2名。左の彼はカメラをもち撮影中だ。07:51

昨日貨物船から降ろされた車両が小禄運輸の車で運び出されていく。07:58

因みに小禄運輸はトレーラー等をここ那覇軍港に常駐させている。カーキ色の車両はJLTV(統合軽戦術車両)。ハンビーに置き換えられていく。ハンビーよりも装甲性が高く、かつ走行性もいいらしい。なおトレーラーで移動するのは、車両のナンバープレートがつけられていないから。おっと、日本国内の道交法は守るようだ。当たり前だがね。

08:04 また新品がこうして沖縄の道路を、野山を走るのかと思うとげんなりしてくる。沖縄に戦闘車両はいらない。

動きはないが、「警告」だけは私たちを禁圧しつづけている。9:36

「軍事演習をやめろ」と人々が集まってきた。

私も少々撮った。平和市民連絡会の皆さん。10:21

抗議の声を上げることは重要だ。軍事演習にここ那覇の港を使わせるな、即刻沖縄に返還しろという声を! このままいけば、軍港が浦添に移転されたら、米軍は浦添新港を使うだろう。

建物の左サイドに身を潜める米兵。10:58

私が待機して6時間経過。何もない。

暇だから。12:43

街路樹。ふさふさしている。温かい日差しで眠くなる。12:45

それにしても何もないのはどうしたことだろう?

おかしいな?

海兵隊員が左から右へ歩き去る。13:44

2階のベランダのパトロールポイント。左手の兵隊はカメラだか望遠鏡で見ているぞ。15:11

動きなし。「非戦闘員避難」訓練はどうしたのだ? やらないのだろうか。夜間にやったのだろうか。やれないのだろうか。

私はトイレタイムへ。

4名が佇んでいる。15:59

何か始めたぞ。16:00

左手の緑のヘルメットは荷役の人。

シートを吊っている。16:04

たんなるシートではない。簡易テントだ。3幕張っていた。16:10

一部の隊員は外で寝ろか。

16:22 ちょいと私は休憩してきます。

戻ってきたら真っ暗に。取材陣もちらほらになっていた。

対岸にフェリーが入港してきた。18:51 19:00着岸予定の船だ。

ヘリ等の動きは一切ない。ところが私が席を空けていた17:00過ぎにCH-53が1機下りたようだ。10名程度交代したらしい。

昨日は、ヘリ等が低空を飛んでいたと聞いたのだが。

ラストに記念写真だ。静まりかえる兵舎とバスターミナルなどのビル(左手)。19:20

右端。今日は何人が寝泊まりしているのだろうか? 30、40人だろうか。多くとも50人だろう。

19:37 結局これといった演習は行われなかったようだ。「大使館補強」演習でバラ線を張り巡らしただけだったか。「米軍は出て行け!」とやっていたな。

19:40 私も帰る。近くに誰もいない。

 

 

 



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