ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

雑事、備忘録(20220928)

2022年09月28日 | その日暮らし

 26日夜21時過ぎに帰ってきて、遅いけどと思いながらも洗濯機を回した。22時前後。先ほど2回目の洗濯。まだ乾いていないものがあった。沖縄でも確実に冬に向かっているようだ。

 恥ずかしながら、一昨日の夜(夕)食は、インスタントラーメン。台風対策のために買って置いた奴。昨日はスパゲティ。もうありあわせのレベル以下。疲れて遅く帰ってきたら、つくる気がしない。旅の前には在庫一斉セールじゃないが、食べ尽くす。だから帰宅後に買い物に行かないとならない。ということで、コーヒーもなくなっている。否、コーヒーは飲み尽くしたのではない。たまたまなくなったのだ。

 こうした細々したことも一つの頭でやれるようになったのは、沖縄に来てからだ。以前は別々に考えていたので、時間がかかったし、二つの頭の狭間で、置き忘れてしまうことが時々あった。こうしたことは、今殆どない。少しでもストレスのネタを減らしておかなければ、もちません。

 今日は母親が亡くなって60周年だ。難病だった。死因は未だに難病だと言われている。科学者は人殺しのための研究ではなく、生きるための研究をやってほしいものだ。今の国の政治は真逆だからな。軍事は儲かりますからね。そうして人類は絶滅していくのにね。個と類の分裂の止揚を人間ができないならば、絶滅だ。カール・マルクスは、人間とは「類的存在」だと見抜いたが、財界や政界は見抜けず。こうしたことは階級的な対立を超えて、哲学的な命題だと私は考えている。私たちは「半端な類的存在」を極めることは困難だが、ここを抜きに人類の明日を拓くことは不可能だろう。

 ヤングケアラーという言葉が言われ出している。先の沖縄県知事選や県議補選でもそう主張している人がいた。私もヤングケアラーだったのだ。近年「ケア論」が盛んに言われているが、「ケア」と言えば、難しく聞こえる。人間が生きていく中で必要不可欠なことであり、障碍や、老齢ばかりによるだけではない。

 私が社会保障・社会福祉の仕事につこうと思ったのも、こうした背景があったのだろう。母の生と死は、死んでも恩恵をもたらしてくれたのだ。妹は私の100倍前向きだ。たいしたもんだ。

 



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