2024年8月29日(木)曇
午前中、ぐだぐだと写真展のまとめに係わる整理をしていたので、出るのが遅くなった。
バスで沖縄高専前まで行ってしまったので、更に遅くなった。
急ぎ足で戻る。
第4ゲート前に間に合った。11:59
出遅れ、気後れでまずは横から。12:02
微妙に身体が動かない。
コンクリートミキサー車が来ている。12:02
後ろに回り込んだ。
いつもの人が唄っている。
12:09 機動隊が退いてと、前に出てきた。
ここで引くか、居座るか? 12:09
私は屈む。右の靴はガードマン。
撤去が始まり(右奥)、退いても一段と深まっている。12:10
排除に掛る機動隊。憮然と居座る。おう、Mさんが来ているのだ。12:11
そのMさんも担がれる。12:12
女性達も粘る。12:13
粘る戦術を考えるべきだろう。
退くにしても、何かを示しながら。12:14
最後の一人? 12:14
いいえ、最後は私でした。中隊長(マイクをかけている彼)とやりとりしながら退いた。
動きは鈍いが、なんとかなるか? (私)
ミキサー車が入り、重機(大型トレーラー)が入る。12:15
後続は護岸用の大きな砕石。12:16
中を一旦坂を上がり、海岸まで運ぶようだ。12:20
森を壊した道路を行くトラック群が海を壊しに行く。12:22
今度の写真展で協調したことだが、海と森、森と海の関係を忘れない。戦略的な気づきが重要だ。
歌って抗議の声を広げることも大事だ。12:22
上を仰ぎ見ながら抗議の声を上げる。違法な工事をやめろ! 海を埋めるな!12:27
沖縄の民意を守れ! 12:30
しかし国は沖縄の民意を打ち砕くことに、この工事に固執する意義を見いだしているようだ。
この論点も、今度の三重での私の写真展から得た考えだ。奴らの戦術はばかばかしいようだが、ばかばかしさこそが戦略的なのだ。私たちが「勝つ方法は諦めないこと」と言ってきたのも、沖縄の民意に元があるだろう。国家暴力への対抗は、沖縄の民意をどう作り出し、広げていくかだ。ここでぶれたらオシマイだ。
第4ゲートから戻ってきて、辺野古美謝川付け替え工事の陸側部分。木がなくなっている。12:36
看板が新しくなっていた。3707日。77番バスを入れようとしたが、間に合わず。12:47
殺されたアカショウビンを撮ったのはこのあと。
シュワブ前のテントで一休みしていたら自衛隊車両が出てきた。カメラを抱えて車道側に出る。
第15旅団の第15偵察隊(那覇基地)だ。13:03
奴ら偵察隊は部隊行動の先陣を切り、攻守を見極め効果的な戦い方を探る部隊。ここキャンプシュワブには米国海兵隊第3遠征軍の第3偵察大隊が駐屯しており、自衛隊が打ち合わせに来たのか。米日共同演習が日常的になっている証だろう。
少々歩いてみる。
辺野古変電所脇の高圧線地中化工事現場。13:41
ミキサー車が入っている。埋設した地下管路にコンクリを注入する段階に入ったようだ。要注目。
辺野古大橋を渡っていると。辺野古川脇で土砂を抉っている。13:47
何をしているのだろう?
この位置。左側が辺野古川。13:51
よし、豊原の高台まで行くぞ。
豊原の高台から。やや霞んでおり、明瞭に見えない。14:37
辺野古の平和の塔へ。
左斜面が大きく抉られている。14:58
皆伐が広がっている。民家脇だが、何だろう。
今度じっくりと調べよう。
平和の塔から辺野古漁港の建物の奥に辺野古の埋め立て地が見える。重機が大活躍?!14:59
今日はここまで。辺野古のバス亭へ。12000歩。16時過ぎ帰宅。