toto予想に役立つかもしれない情報を中心に。(休戦中)
目指せtoto成金




という心持ち。だったら、もう予約しちゃえ、と珍しく鋭い決断力を発揮。ホテルでもらったガイドに載っていたお店に電話、無事予約完了。

が、いささか時間があったので、宍道湖北側のイングリッシュガーデンへ。どちらかというと、ここから宍道湖を眺めることを目的にしていたが、綺麗な庭が無料で開放されていて--どうやって収入を得ているの?--、もっと時間を取れば良かった、という場所だったなり。

夕暮れまで佇みたかったが、予約の時間も近づき出発。向かった先は『さくら川』なるお店。持参していた「ことりっぷ」にも載っていたので、有名なのかも。「今はいっぱいで」と断られている人もいたので、予約は正解だった様子。

刺身盛り、ノドグロの刺身、タイの煮付け、なんぞを贅沢に持ってきてもらって堪能致しました(ちょっと壊れ気味だったかも)。

ビールも飲んじゃったので、嫁さんにハンドルを握ってもらって、2泊目のホテルへ戻る。

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昨晩、9時26分の地震を皮切りに、強い余震が続いているとか。

熊本城でも、石垣が崩れ、瓦が落ちて、という映像が見られた。ま、崩れたものは治せば良いのであって、大事なのは人命。

ニュースでは9人の方が亡くなったとの報。

ここまでの被害と、これからの損害が小さく済んで欲しいものなり。

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お城を出て、北側を回って駐車場へ。途中、武家屋敷で息子が寝だし(抱っこで)、娘が楽しみにしていた雑貨屋さんに寄り、地ビール館でお土産を買い。

そんなこんなで、駐車場を出たのが2時過ぎ。次に向かったのは、島根町の「加賀潜戸(かかくけど)」。
、、、読めねぇよ。

『マリンプラザしまね』を目的地とはしていたが、基本スタンスは「日本海を見るぞ」。いざ着くと、ちょうど遊覧船が出るけど?というタイミングで、勢いで乗ってしまった遊覧船。(結構船好き)

その船で向かうは新旧ふたつの潜戸。旧には上陸し、新では船で進入。個人的には、旧がなにか良かったなという想い。どことなく引っかかっていたものを降ろすことができたような。

海も綺麗で、思いの外の満足感。道中すれ違う車もなくって、「人いないんじね?」という雰囲気も漂わせつつ、行ってみればちょっと良い経験ができたような、。
それにしても神話の舞台は、スケールが大きい。岩に向けて弓を放ったら、その岩を貫通して、さらに向こうの岩にまで穴を開けちゅったとか。


さて、失敗に気づいたのは、「ここら辺で、美味しい魚でも食べていきたいね」という話になったから。このマリンプラザの上に食堂があって、「その日取れた魚を提供」とあるのに、営業は3時までっ。
がびーん、昼飯を露天なんかで済ませるんじゃなかった、、、ということ。

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桜咲く松江城に入る。花見客も多いが、ブルーシートが敷き詰められて風情ぶち壊しなんてこともなく。余裕ある、大人な街という雰囲気。

それは本丸の敷地内も同様。桜餅をその場で作って販売していたり、菓子付きの抹茶を出していたり、やっぱりちょっと優雅&文化的。

でも流石に、天守内は観光客な人が多く、狭い階段には列が。入ってすぐに井戸があったり、築城時の立札が貼ってあった跡があったり、ブラタモリでの予習通り。
暗い下側とは対照的に、最上層は明るく開放感が気持ち良い。足元には満開の桜、遠くに宍道湖、という南側のロケーションは最高。

天守を降りて、その桜餅を食す。まだ暖かく、ちょっとしょっぱいアンコ。妙に食欲が刺激される。朝飯から、そんなに時間経ってないはずなんだけど。

そこで、露店で焼きそばやらお好み焼きやらを買って、下の広場で花見アンド昼食、、、となったが、この昼飯を後ほど悔やむことに。


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まずは、松江城と堀川巡りに向かうべく、国道9号線を進む。途中「武者行列で通行止め」の看板あり。

お城の北西側の駐車場に停めて、舟乗り場へ。舟はスグに出発。

舟にはコタツが置いてあるが、寒い日でも楽しめそう(今日は暖かいけどね)。船頭はベテランさんで、客とも会話しながら、名調子で案内。
曰く「ここのコロッケが美味しい」「ここの最中は絶品」、、、食べ物の話しか覚えてなひ。

良い天気の中、川面から見上げる松江の街は、青空をバックにして、どこも映えておりました。旧日本銀行の建物然り、土手の花壇然り、遠くに見える松江城然り。

舟はお城横の堀へ。その手前では「堀の石に家紋が彫ってあるものがある」という紹介。堀家の家紋だとか。(我が家は見つけられず)

我々は、ここで上陸。後で聞けば、娘は楽しかったようで、「もうちょっと乗っていたかった」とのこと。



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以前は倉庫街だったとか、豊洲。

95歳で亡くなった伯母さまの葬儀に参列。長寿の国とはいえ、95は大往生と言って良いかと。

日蓮宗のお坊さんのお経を聞きながら、お世話になりました、闘病お疲れ様でした、と念じる。

帰る頃にはスッカリ暮れて。乗り換え3回の帰路に着く。


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眠気を押さえつけ、途中コンビニで小休止を入れつつ、宍道湖半の宿に到着。

宿の印象を一言にすれば「外見も古いが、中身も古い」。でも、お風呂は十分なクオリティーだし、お食事も美味しく、サービスも及第点。
つまりは十分なお宿でした、と。

明けて、2日目の朝。外は霧が出て幻想的にも見え。湖とは逆側の向きの部屋だったので、早めに朝食に食堂に降りるも、やはり真っ白。
ホテルの方に伺うと、霧はそれほど珍しいものではないとのこと。さいですか。

朝食食べて、準備して、松江市内目指して出発。その頃には霧もほぼ晴れて、今日は良い天気。


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娘が「リュックサックが欲しい」と言い出し--学校用のバッグがあるのだが、部活の荷物が増えると別途リュックサックを使うのが流儀らしい--、「じゃあ」ということでの横溝屋敷なり。

相変わらずの「弁当買って、横溝屋敷で食べて」というところからスタート。敷地内、竹の皮を剥いた跡があって、家族連れの姿も多く、何かイベントがかしあった様子。

トレッサは、相変わらず盛況。聞けば、「部活に入って、周りの様子を見てから決める」とのことで、欲しいリュックサックは買わず。代わりに?、私がデニムを購入。

家に戻ったのが、3時半過ぎ。はやかったのは、お父さんが都内に出る用事かあったから。
叔母さんのお葬式なり。

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出雲大社の駐車場を出て、向かった先は大社駅。大社線自体は廃線となっていて、駅だけ残ったという場所なり。

ま、ブラタモリで見て「ここは行かないと」と思ったのが半分、「下の子が喜ぶかな」と計したのが半分。

外も立派なら、中も壮麗。旧改札の中で制服を着た人形が置いてあるのはチト薄気味悪かったけれど、運賃表や時刻表が残っていて、流石のリアリティー(?)。

線路もホームも残っていて、D51の姿も。ホームで遊んでも、レールに降りても、列車が来る心配がないのが良いところ。
ところが、遠くで「カンカンカン」という音。息子の顔に緊張が走った、踏切の音と分かったらしい。「大丈夫、ここには来ないよ」と声を掛けてやるが、しばらくキョロキョロしていたような。

雨がポツポツ落ちてきて、大社駅を離れた。これから、松江のホテルに向けて出発。

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出雲といえば「出雲大社」、、、というか他に知らない。なんて人は私だけではあるまい。裏を返せば、それだけ出雲大社は有名という事でもあり。(同様のことが、鳥取における鳥取砂丘に当てはまる)

割子そばを頂いて、いよいよその出雲大社を参詣。

もっと鬱蒼とした感をイメージしていたが、案外公園然とした雰囲気。ただ、其処彼処にウサギの像があったり、玉を抱こうとする像があるところは、神社なり。

拝殿へお参り。しっかり四人で、いや三人で「二礼、四拍、一礼」。次に、本殿前で「二礼、四拍、一礼」。続けて、本殿の西側(オオクニヌシノオオカミが西向きに鎮座しているので、大事なポイントらしい)、本殿の北側(オオカミに一番近付ける場所)でも。もう、財布にあった小銭は全部出払う始末。
でも考えてみると、どこで願っても願う先はオオクニヌシノオオカミなのであります。

さらに、オオクニヌシノオオカミのお父さんにあたるスサノオノミコトを祀る素鵞社、神楽殿を廻って。
やっぱり、神楽殿のぶっといシメナワをバックに写真を撮ったり。

思いの外、出雲大社で滞留してしまって、時間はもうすぐ四時といったところに。

これは、拝殿。いや、これだってスゴい太さのシメナワなり。

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