株主総会で何か主張しようとするのは間違いである。
一般投資家というのは、利潤を得るために株を買うのであって意見を言うために株を買うのでは無い。
一般投資家は、コバンザメみたいなものであって、決して意見を言えるような大物では無いのである。
株を買うというのは、その企業の活動に賛同し、そこから得られる利潤を追求するためのものである。
積極的に企業活動をサポートしているのが株主である。
例えれば、ナチスの党員に当たるのが株主だ。
ナチスの党員には辞める自由が無いに等しかったが、現代日本においては株主を辞める自由に何ら制限が無い。
株主を辞めることで損失を被る場合もあるが、逆に利潤を得る場合もあるので自己責任でどうとでもなる話である。
サローの「知識資本主義」の中で述べられている例え話を引用すると、
もしアメリカ最大の個人投資家であるウォーレン・バフェットが、ジェネラル・モーターズ社の将来についてその最高経営責任者とランチを挟んで話すことを望めば、それは可能である。それに対し普通の平均的な投資家が連絡したとしても、返事すら返ってこないだろう。
前にも書いたが、東電は株主のものであると東京証券取引所のお偉いさんが語ったが、この場合の株主という言葉の意味は大株主であり、一般個人株主は株主の中に含まれていない。
株式市場には、正義や道義あるいは理性は無いので、そのような仕組みの中での株主総会というのにも当然それらは無い。
一般投資家は、総会ではなく、訴訟にしないと何も言えないのが現実です。
経営破綻で倒産させれば良いじゃない。
何か問題あるのかな?
要らない痴呆路線や痴呆空港も削減出来るし、一石二鳥じゃないですか。
株式市場というのがあるらしい。
以前、「ライブドア株」というタイトルでも書いたが、
http://blog.goo.ne.jp/y-oishi/d/20060304
株式市場が健全だという状態があるのだろうか?
インサイダー取引の証拠があるというのが、そもそもあり得ない話なのである。
村上ファンドが今回失敗したのは、素人集団(ライブドア)と関わったからである。
証拠を残すようなアホとは付き合わない方がよい。
その点、竹中平蔵はえらい!
アホとは付き合っていないのである。
ホリエモンを応援に行ったのは、自民党本部が行けと命令したからであろう。
ホリエモンとスクラムを組んで郵政民営化なんて・・・心の片隅にも思っていなかった応援演説であったのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/y-oishi/d/20060303
応援していたホリエモンは社長業を辞めずに国会議員になり、銀行業にも手を出そうとしていた。
国策レベルのインサイダー取引にならなくて本当に良かったね。平蔵君。
ではでは。
ライブドアショックで株価が下がり損をした人がいるらしい(笑)。
損害賠償請求を裁判で争うといった強者もいるらしい。
そんな人にお薦めしたい本がある。
レスター・C・サロー著 「知識資本主義」 三上義一訳
その中にこのような一節がある。
「まったく利益を出していない会社に何百億ドルもの資産価値などあり得ないことは分かっていたはずである。
個人投資家が株を買ったのは、騙されたからではなく、感情に支配される右脳によって簡単にカネ持ちになれるのではないかと思いこんだからである。
株暴落で401k(確定拠出型年金)は、201kに変貌してしまった。
減少してしまった年金について考え方が二つある。
一つは、私が間抜けだったので、株に手を出してしまったのだということ。
もう一つは、私は騙されていたのだということ。
いずれにしろ、大金をすってしまったのであり、後者のいいわけのほうが楽に生きていけるというものである。」 以上、引用終わり
ありがたいお言葉である。
今回の事件で、金融取り締まりを強化して健全な株式市場を構築しようとかいう議論があるが、お笑いぐさである。
権威に頼るのは好きではないが、アホな私が言うよりも、サローの著書から再引用するのが良いでしょう。
「不祥事は資本主義特有のものだが、それに対応する方法は二つある。
まずは正しい答えであるのだが、小口投資家たちに、市場は操作されていて、大口投資家や内部関係者とフェアーに競争しているのではないと警告することである。
資本主義とは「ポジティブサム」、つまり参加者がみな何らかの分け前にあずかることができるカジノであり、カジノを主催する胴元、すなわちカネも力もある大口投資家も利ざやを稼ぐのである。政府は胴元があまり多く懐に入れるようであれば処罰するべきなのだが、小口の投資家にも勝つチャンスが公平にあると保証できる政府など存在しない。
二番目の、そして間違った答えは、規制を設ければ将来の不祥事を防ぐことができ、小口投資家にも公平なチャンスがあるというふりをすることである。
だが、これこそ最大のいんちきなのである。
いかなる規制も完全なる公平さと透明性を保証することはできない。保証できると偽るのは、政府を究極の偽善者に仕立てることになる。
=中略=
資本主義の下ではすべての経済行為の極意は、「買い手の危険持ち」、「買い手の危険負担」ということである。これは事実に反し、法と規制で取り締まることができると議論するものこそが、資本主義システムにおける究極の詐欺師なのである」 引用終わり
司馬遼太郎の「俄」という小説に、次のようなニュアンスの文章があった。
正確な記憶がないので間違っているかも知れませんが、「一人の利口が笛を吹けば、アホ踊る・・・・・」こんな感じだったと思います。
まっ、博打して踊ってストレス解消したと思えば良いのかも。