広島県の庄原市というところで、市政懇談会なるものが開かれた。
この市政懇談会は、住民自治組織(自治振興区と呼ばれる組織)と市側から市長と担当課長がお互いに意見を述べ合う場である。
庄原市というのは、旧町と旧庄原市が合併して出来た市である。
合併により広大な面積を有するので、各旧町単位で自治振興区を設立し、地域特性に合った自治活動が出来るようにとの配慮で半官製(人によっては全官製)で出来た組織である。
自治振興区が、住民の意見をどれだけ反映しているかは議論の余地はあるが、曲がりなりにも住民自治組織と行政が、ある議題に沿って意見を言うという場であるので、市会議員は当然傍聴に来るものだと思っていた。
そう思っていた私は浅はかだった。
誰も来ていない。
口和自治振興区の市政懇談会は、予定されていた日が台風の接近で急遽変更になったせいかもしれないが、市会議員は誰も来ていない。
他の自治振興区で市会議員が参加していたかどうかは確認していないが、なぜ?、口和自治振興区で行われた市政懇談会に誰も来ないのか?
考えられる理由として、
1.その日は市会議員全員が都合がつかなかった。
2.あるいは、自治振興区という存在に問題があり、市会議員全員でその問題を重視しており、問題のある自治振興区が意見を言う場に行っても仕方がないと考えた。
3.さらに考えられるのは、市側が市会議員の参加を認めていなかった。
曲がり形にも、行政に対する住民の意見が聞ける機会をドブに捨てるとは。。。
こんな方々が市会議員とは。
地方分権の地方は痴呆に変えた方がよいかも。
生存確認用に記事を投稿。
特におもしろいことは起こっていません。
さて、表題の増穂の芒(ますほのすすき)とは?
岡本綺堂の「小坂部姫」という物語の中で出てくる話です。
と言っても、もともとは吉田兼好の徒然草に出てくる話です。
綺堂の小説から引用すると、
「あるところに大勢の人があつまっているときに、増穂の芒の議論が出た。 渡辺の聖がこの事をよく知っているとある人が語ると、その席に居合わせた登蓮法師が俄かに座を起って、すぐに簑笠を貸してくれ、これから渡辺の聖のところへその教えをうけに行きたいと言った。あいにく雨は降る、それほど急ぐにも及ぶまい。まず雨のやむのを待つがよかろうと、そばから注意する者があるのを、登蓮はあざけり笑って、人の命は雨の晴れ間を待つものではない、その間に聖が死ぬか、自分が死ぬか判ったものではあるまいと言って、降りしきる雨の中を忙しそうに出て行ったというのである。
今思えば、大学院で実験を行っていたときには、この心情であったと思う。
しかし、サラリーマンになると相手の都合・自分が所属する会社の都合・そして仕事に対する情熱の持ちようで、登蓮法師のような行動はとれなかった。
さてさて、この増穂の芒という話から思い出したのが、司馬遼太郎の「峠」という小説の主人公の河井継之助。
なんとなく、河井継之助の行動力に相通じるものを感じてしまう。
登蓮法師にしても河井継之助にしても知性や思想を突き詰めていくタイプであろう
それに反して、私はといえば、こんな行動力を愚鈍な私に起こさせる要因としては、色恋沙汰くらいしかないのではと思う。
色恋には、知性も思想もあまり関係なさそうだから。