1度だけ署名をしたことがある。
もうだいぶ前のことだ。
横田めぐみさんのご両親が三次市で講演された際の、拉致問題解決のための署名だった。
拉致があった当初、北朝鮮の犯行ではないと言っていた政界の人間は与野党共に責任をとらずに他界していった。
ところで、愛知県知事のリコール署名は民主主義を破壊する犯罪である。
署名活動自体はどんなテーマでも自由に行えるが、署名が集まるかどうかはテーマ次第だ。
問題があることを知っていながら何の行動も起こさないのは、知らないことと同じだという考えがある。
だが、その行動結果は自分の望むものと違っても受け入れなければならない。
例え社会に受け入れられないとわかっていても行動を起こさないといけないと思えば、成否は考えてはいけない。犯罪とかはダメですよ。
成否を考えて行動するのも当然良いのだが、いつまで経っても行動できないこともある。
話を愛知県知事リコール署名に戻すと、結果を不正なものにしたことによって、署名行動に駆り立てた自分にとっての正義の原理が消滅してしまった。
結果だけを重視するか、行動原理を重視するかは美意識の違いだと思う。
もっとも良いのは、結果が得られるように緻密に計画して行動を起こせれば良いのだが、人生そう上手くは行かないものだと思う。
愛知県知事リコール署名を実際に行った人も事の成否を見越して署名をしたのではないと思う。
自分が培ってきた知性から署名という行動を起こした思う。
まだわからないが、署名の多くが偽造ではないかと疑われている。純粋に行動した署名者は、自分の正義が消滅していくのに困惑しているかもしれない。
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