横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

ここは天の門だ

2008年05月06日 | Weblog

連休が終わり、またいつもの日々が戻ります。その日々過ごす場所はあなたにとってどんなものでしょうか。そこは必ずしも花園のように潤い、自分の思い通りの人間関係があり、ウキウキするところではないかもしれません。
例えば、尊敬できない上司に仕え、がんばった仕事が思ったように評価されないこと、家では思い通りに育ってくれないように見える子どもとの孤独な関わり、学生なら受験のプレッシャーに加えたクラスメートとの微妙な空気のズレ・・・一人一人の場所があります。

 創世記にヤコブという若者が、一人で孤独な旅をして野宿をする場面が出てきます。彼は自分で立てた計画により兄の激怒させ家族から遠く離れていかねばならなくなりました。夜になり周りには宿もないような荒野で石を枕にして眠ったのです。彼には今、自分と喜びや悲しみを共有してくれる人、守ってくれる環境もありません。真っ暗闇の中でただ眠らなければいけませんでした。そこで彼は神さまにより夢を見ます。

「見よ。一つのはしごが地にむけて立てられている。その頂きは天に届き、見よ、神の使いたちがそのはしごを上り下りしている。そして見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。」

 金田福一先生の「荒野にある泉のほとり」にはこうあります。
「『救い』とは苦しい現実からのがれて、空想の世界に行くことではありません。『救い』とはあなたの苦しい現実に、天に達するはしごが立てられることです。」
ヤコブの現実は変わらなかったのですが、彼に神は約束をされました。

「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行ってもあなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしはあなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

彼の魂の視線は一変しました。そしてこういいます。「まことに主がこのところにおられるのに、私はそれを知らなかった。」「こここそ神の家に他ならない。ここは天の門だ。」

ここではないオアシスに神がおられるというのではない。私たちが置かれているこの場所、そこに主がおられ、そこが天の門だというのです。
そのように日々目が開かれ、感謝して生きるように変えられるとき何かが変わっていくのですね。