茶屋の裏手の旧街道は、暫く林間の平坦な道が続きます。
やがて道の傍らに、小石のたくさん積まれた岩が・・
「於玉坂」
標高:770m
お玉という若い娘が、江戸の奉公先を抜け出し 伊豆の実家に逃げ戻ろうとして
箱根の関所を破り、この辺りで処刑されたという悲しい話が伝わっています。
県道を跨いで、旧街道は杉林の中へ。
また石畳の道になります。
説明板によると;
此処から元箱根に至る約1kmの石畳は、和宮内親王が14代将軍徳川家茂に
嫁ぐにあたり、幕府が1862(文久2)年に改修を行ったものだといわれます。
箱根の二子山から切り出された硬くて粘り気のある安山岩が、平均3.5mの
道幅の中央部 約1.8m幅に敷き詰められたということです。 実際には、
和宮御降嫁の行列が此処を通ることはなかったそうですが・・
「白水(しろみず)坂」
標高:790m
小田原合戦の折、秀吉軍がこの付近で北条方からの石攻めに遭い
城を見ず(=しろみず)に引き返したことから、こう呼ばれたとか。
見事な石畳が続いています。
やがて行く手の道にせり出すように、巨石が見えてきました。
「天ヶ石(てんがいし)坂」
標高:800m
方8尺(2.4m四方)の天蓋石と呼ばれる巨石です。
「於玉観音堂」
先述のお玉を初め、街道沿いや山中で亡くなった多くの人骨を発掘・収集し
供養するため、興福院が建立・管理しているまだ新しい観音堂があります。
此処はまた、「二子山」を展望する絶好の場所☆
箱根火山活動で最後にできた鐘状火山で、江戸時代から「二子石」と
いう安山岩を産出する石切場で、石畳の多くは此処から切り出されました。
現在は、入山が禁止されているそうです。
小田原方面からはお椀を2つ並べて伏せたように見える「二子山」ですが、
此処からは4つの瘤がきれいに並んで見え、「表二子に裏四子」と
呼ばれています。 左が上二子(1,090m) 右が下二子(1,064m)
「天ヶ石坂」の石畳を上り詰めると、道は芦ノ湖に向かって下って行きます。
「権現坂」
標高:805m
箱根権現(箱根神社)への分かれ道があったのが、坂の名の由来。
湖水が見える 道中で最も景色の良い坂で、無事に山を越えて
此処まで辿り着くことができた旅人の安堵の気持ちが想像されます。
安藤広重の浮世絵にも・・ホラ!
権現坂を下る大名行列が描かれています。
「ケンペル・バーニーの碑」
ケンペル氏は、1960(元禄3)年に長崎オランダ商館付の外科医として来日した
ドイツ人の植物学者で、2年の在日中に2回江戸参府に加わり、箱根で芦ノ湖の
魚類や多数の植物を観察。帰国後、箱根の美しさや日本文化を紹介しました。
芦ノ湖畔に別荘を持っていたイギリス人貿易商のバーニー氏は、ケンペル氏の
著書「日本誌」に感銘を受け、箱根の自然保護の思いから左の碑を建立しました。
「芦ノ湖」に到着デス☆ やったゾ~~
富士火山帯のカルデラ湖。 箱根観光のシンボルでもありますね。
湖面の標高: 725m
湖の周囲: 21km
湖の最深部: 43.5m
このあと杉並木を通って、いよいよ箱根宿へと向かいます。
(続)
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