今回は、前回の続きをJR「茅ヶ崎」駅から歩き始めました☆
駅を出て、R1を西へ。
さっそく、右側の公園の中に4基の大きな石燈籠。
東京上野の寛永寺に納められていたものの一部が、市にもたらされたものとか。
寛永寺は、いわずと知れた徳川将軍家の菩提寺。 代々の将軍の供養に
各地の大名が競って大燈籠を寄進しました。
手前から1・3・4番目の燈籠は、第10代徳川家治(浚明院)のため、
1786(天明6)年の刻銘。 2番目は第4代徳川家綱(最有院)のため、
1681(延宝9)年の刻銘。 寄進した大名の名が刻まれてあります。
街道右手に、厄除け大師のお寺がありました。
「茅ヶ崎山 円蔵寺」
真言宗のお寺です。
本尊: 薬師如来・厄除秘鍵大師
境内には、「乃木大将像」や「203高地血染の岩片」などがあります。
説明されてありませんが、当寺とどのような所縁があるのでしょうね。
街道沿いに、製材所があったので・・
そういえば、近頃あまり見かけなくなりましたよね。
「十間坂」という所に来ました。 右に大山や富士山、左には江ノ島や
金沢方面まで望めたことから「十景坂」、いつしか「十間坂」となったとか?
「第六天神社」
創立: 年代は不詳
祭神: 淤母陀琉神(おもだるのみこと)
妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのみこと)
祭神は神仏混淆時代の仏教で信奉する神で、国産み神話の
天神七代の神々のうちの、第六代にあたる男女2柱だそうです。
第六天神社は全国に300有余社あり、西日本では皆無に近く、
東京千葉の境に多く存在するようです。 身の丈2里の大神で
身体壮健・不老長寿のほか、道中安全のご神徳があるとか。
織田信長が篤く信奉したといい、その強大な神威を畏れた
豊臣秀吉が廃寺を行ったと伝えられています。
十間坂歩道橋の上から、行く手を・・
街道の雰囲気を感じさせる建物を見ながら、先を急ぎましょう☆
「南湖入口」交差点を過ぎる辺りから、道は右へ大きくカーブしていきます。
やがて、千ノ川に架かる「鳥井戸橋」。
橋の袂に、「南湖の左富士之碑」。
江戸を発った旅人は、東海道の右前方に富士山を見ながら来ますが
街道の屈曲から、此処で突然 左側に富士山を見ることになります。
このように・・
道中 左手に見えるのは、ここ茅ヶ崎と吉原(静岡・富士市)だけだそうで
広重の浮世絵にも、名所「南湖の松原 左富士」が描かれています。
「町屋」交差点の右手、朱塗りの大鳥居の先に
松並木の参道が ずうっと続いています。
(続)
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