JR東海道線が 今日は平常運行しているようなので、
昨日取りやめた遠出を 実行することにしよう~!
箱根登山電車で、前回の「入生田」駅の次の「箱根湯本」駅で降り、
「早川」沿いに少し戻ったところにある「三枚橋」から 今回は出発します。
さて、今日はどこまで行けるかナ・・がんばって歩きましょう!
三枚橋から、旧街道はR1と分かれて左へ入って行きます。
橋の名は、嘗ては川幅がもっと広く 2つの中州を結んで「地獄橋・極楽橋・
三昧橋」という3つの橋が架けられていたのに由来し、どんな罪人でも
橋を渡ってその先の「早雲寺」に逃げ込めば 罪を免れられたので、
まさに 地獄と極楽の分かれ目の橋だったのだとか。
橋の近くの路傍に、「矢立杉跡」碑
昔 この付近に「矢立の杉」という老木があったそうで、この杉の木の
下を通る武将達は、戦勝を祈願してこの木に矢を立てたといわれます。
橋を渡り終えると、道は右へカーブしながら上り坂になります。
カーブして直ぐ、右へ入って行くと、左手の階段の先に
「箱根町立郷土資料館」
まずは 箱根温泉郷の歴史をお勉強(?)して、
そのついでに、ガイドマップもGETです☆
街道筋へ戻って、坂をどんどん上って行きます。
「早雲通り」と呼ばれるこの旧街道、11月には「箱根大名行列」が
練り歩いて観光客などで賑うようですが、今日は車の往来はある
ものの人通りは少なく、どこかのんびりした温泉町の風情です。
10分ほども歩いたでしょうか。 通りの左側に玉垣が見えてきました。
「白山神社」
天平年間(729-748年)に関東に疱瘡が大流行した時、加賀から
派遣された浄定という人が白山権現社を建てて十一面観音菩薩を
祀ったところ、山から霊泉が湧き出し病を治したと伝わっている由。
約300年前から 湯本温泉の鎮守。
祭神: 白山比大神=菊理媛命(くくりひめ)
伊奘諾命(いざなぎ)、伊奘冉(いざなみ)命
笑っているような表情の狛犬さん、子供を背に乗せて楽しそう☆
耳がピンと立ってますね。 大正時代の作で、制作者の名も刻まれてあります。
街道を挟んで、神社のほぼ向かい側に
「金湯山 早雲寺」
北条早雲の菩提寺です。
臨済宗のお寺
創建: 1521(大永元)年
開山: 以天宗清(大徳寺第83世)
開基: 北条氏綱
本尊: 釈迦三尊(南北朝時代の作)
嘗て500名を超す僧をかかえる大禅刹として、隆盛を極めました。
秀吉の小田原攻めの際には、豊臣方の本陣ともなりましたが、
その後 後北条氏の滅亡とともに当寺も衰退、縮小したとのこと。
本堂は、寛政年間(1789-1800)建立。 昭和30年代の
改修までは、茅葺寄棟造りであったようです。
鐘楼
惣門・本堂・鐘楼は 箱根町の重要文化財
本堂裏手に 枯山水の庭園
早雲の三男 北条幻庵が作庭したと伝えられます。 銘「香炉峰」
左手の墓地に「北条氏五代の墓」
1672(寛文12)年に、子孫の河内国狭山藩主
北条氏治によって建立された供養墓だそうです。
旅半ばに、ここ湯本で没した室町時代の漂泊の連歌師
飯尾宗祇(1421-1502)の墓や、境内には歌碑もあります。
ほかにも、千利休の高弟で秀吉の怒りを買って殺された 山上宗二の追善碑とか
朝鮮通信使ゆかりの扁額 等々、戦国~江戸期の歴史・文化の流れに関わりの
深いお寺であったらしいことは、 ‘猫’のような素人にも感じられます。
さらに 街道を歩いて行くと、左側に
「放光山 正眼(しょうげん)寺」
臨済宗のお寺。
鎌倉時代、箱根路の旅人の安全を祈る地蔵信仰から建立された
地蔵堂があり、その別当寺だったお寺が1626(寛永3)年に
再興され「正眼寺」となりましたが、その後 山崎の戦で焼失。
現在の本堂は、銀行家 今村繁三氏(1877-1956)の別荘だった建物とか。
本堂左手の石畳を上って行くと
「曽我堂」
あの曽我兄弟が仇討の本懐を願って参籠したといわれる
地蔵堂の近くに、縁者たちによって建立されたといわれます。
木像 伝曽我五郎地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)
木像 伝曽我十郎地蔵菩薩坐像(室町時代)
の2体が祀られ、春秋のお彼岸に開帳されるということです。
柔らかな新緑と まだ散らずに残っているしだれ桜が美しい境内で
ちょっとひと息入れるとしましょうか
(続)
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