おはようさんどす!!今朝も大阪は熱帯夜でした。
テレビでは天神祭の「船渡御」(ふなとぎょ)や花火が中継されていました。
105万人の人出とあります。
暑い中ご苦労様です。
今日も京阪の旧形車をお送りします。
ホームページの国鉄硬券入場券 2889駅アップ終わりました。

(1) 615 普通奈良電(現近鉄)京都行 六地蔵宇治方

(2) 705 普通宇治行 六地蔵宇治方 700形は両運転台車であったが、
片側は運転台は個室になっていました。 反対側は仕切り棒でした。
常には仕切り棒の方の運転台を使っていました。
こんな編成は珍しかった。

(3) 705

(4) 804
800形は801~812 (807 S21.8.1. 天満橋駅構内の寝屋川橋梁上で脱線転覆廃車された。)
その後大津線に車体更新して351~361になって移っていった。
もともと800形は元琵琶湖汽船の100形でS2年2月木造のセミクロスシート車で101~112の12両あった。
木造ながら優秀な車両であったために京阪と合併後本線に移管されることになった。
S4年9月 101~106が801~806となりS5年2月から使用開始された。
石坂線に残った車両もS6年5月に107~112が改番され807~812となった。
S10年3月に811・812が本線に転入807・808となりました。
石坂線に残った807・808は811・812に改番された。
さらにS15年2月に残る809~812が本線に転入これで全車本線に移管された。
S10年2~3月に801~808は奇数車は大阪方 偶数車は京都方運転台を撤去2両固定編成となった。
809~812は転入時に片運転台化されS14年7月にロングシートに改造された。
先に書いたS21.8.1.天満橋の事故で807が廃車となり808が両運転台に改造された。
S34年12月両端ジャンパー付きとなり3連化されて交野線に3連3本となりました。
昭和41年に全車廃車となり生まれ故郷の大津線に350形として戻っていった。

(5) 806

(6) 守口車庫 全盛期風景
右側の1000形が本線方で2000形と500形の間に柵がされている線路が工場の試運転線であった。
試運転のない日は留置き線となっていました。
また2000形の入っている線は洗浄線でした。
500形の後に1900形が見えているのは工場線です。
テレビでは天神祭の「船渡御」(ふなとぎょ)や花火が中継されていました。
105万人の人出とあります。
暑い中ご苦労様です。
今日も京阪の旧形車をお送りします。
ホームページの国鉄硬券入場券 2889駅アップ終わりました。

(1) 615 普通奈良電(現近鉄)京都行 六地蔵宇治方

(2) 705 普通宇治行 六地蔵宇治方 700形は両運転台車であったが、
片側は運転台は個室になっていました。 反対側は仕切り棒でした。
常には仕切り棒の方の運転台を使っていました。
こんな編成は珍しかった。

(3) 705

(4) 804
800形は801~812 (807 S21.8.1. 天満橋駅構内の寝屋川橋梁上で脱線転覆廃車された。)
その後大津線に車体更新して351~361になって移っていった。
もともと800形は元琵琶湖汽船の100形でS2年2月木造のセミクロスシート車で101~112の12両あった。
木造ながら優秀な車両であったために京阪と合併後本線に移管されることになった。
S4年9月 101~106が801~806となりS5年2月から使用開始された。
石坂線に残った車両もS6年5月に107~112が改番され807~812となった。
S10年3月に811・812が本線に転入807・808となりました。
石坂線に残った807・808は811・812に改番された。
さらにS15年2月に残る809~812が本線に転入これで全車本線に移管された。
S10年2~3月に801~808は奇数車は大阪方 偶数車は京都方運転台を撤去2両固定編成となった。
809~812は転入時に片運転台化されS14年7月にロングシートに改造された。
先に書いたS21.8.1.天満橋の事故で807が廃車となり808が両運転台に改造された。
S34年12月両端ジャンパー付きとなり3連化されて交野線に3連3本となりました。
昭和41年に全車廃車となり生まれ故郷の大津線に350形として戻っていった。

(5) 806

(6) 守口車庫 全盛期風景
右側の1000形が本線方で2000形と500形の間に柵がされている線路が工場の試運転線であった。
試運転のない日は留置き線となっていました。
また2000形の入っている線は洗浄線でした。
500形の後に1900形が見えているのは工場線です。