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日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

今日は、日記の日・・

2023年06月12日 08時28分51秒 | Weblog
今朝は雨でwalkingはお休みしたのに、7時過ぎ頃雨が止
んで曇り空の信州、天気予報は今日もあめが降ったり止ん
だりと、はっきりしない梅雨独特のお天気のようです。
暦によれば、今日の6月12日は、日記の日とありました。
1942(昭和17)年、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによ
って「アンネの日記」が書き始められた日。アンネの家族
は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステ
ルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し
前の13歳の誕生日に父から贈られたものと言われている
1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出さ
れて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記
はこの日で終わっていて、アンネの死は1945(昭和20)年
3月31日。ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で、
病死とされている、とのことです。「アンネの日記」が
書き始められた6月12日の今日が日記の日、私も昔から
日記のような雑書きを大学ノートに気まぐれに書いてい
ましたが、それは1984年昭和59年からです。それは家内
が初めて、病気入院手術の年、長男が小学1年生長女が
保育園年長、子供の学校の様子や学校からの連絡や生活
の状況を交換日記のような形で家内の病院に届けたりし
たのが始まりでした。それ以前に我々は法律で決められ
た、業務事件簿の記載が義務付けせれていましたので毎
日の仕事の記録を当時は手書きで毎日、帰り際に書いて
一日の仕事を締めきって帰っていました。その事件簿は
60歳で一線を引くまで、続いていてその後、顧問になっ
ても仕事のある日は事件簿だけは記載してましたが、家
での仕事の時は大学ノートに書くようにしていました。
その大学ノートの日記は、一日一頁の記載は現在も続い
ていて一昨年、早朝散歩で市内の殺人事件の折に警察の
職務質問を受けた際に役に立ちました。朝5時半ころ暗
い朝、突然県警の刑事に職務質問、昨年の9月29日の行
動は??と問われて、思い出せないが家に帰って日記を見
れば・・わかるかも。それから刑事と共に家に来て私の
日記を見ていただいて、わたしへの疑惑は無くなりまし
た。以来日記はその日の事、電話や連絡の事などを書い
て現在まで、そのほかに、ビジネス日記の3年版はその
日の予定と共に来訪者やお金などの動きを記載していて
日記らしきものは2冊を毎日書いている。大学ノートも
今段ボール箱に一つとなっていて、私の宝物のひとつと
なっている。






























コメント (10)
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