自分チャンネル 気づきと日常

今までの経験から気づいたことを綴ります。

与える魂

2017-10-02 14:53:29 | 気づき

私の夫は、誰か親とか親戚とか兄弟姉妹のためなら動くが、
自分のためとなるとほとんど動かない。

私はそれをもどかしく思う。
もっと自分のためにいろいろ
やってほしいと思うから。
服を選ぶとか、身の回りのこと(例えば
掃除や料理など)私がいなくなっても、
なんとか生きていけるように。
頼めば手伝う程度。

完全に他人事で自分のために
やるという意識はない。

好きな趣味など持って人生を
楽しんでほしいと思う。
私はそうしたいと思うから。

最近思うのは夫という人は、
人のために何かやって満足する人
なのだろうということ。

自分のために誰かに骨を折って
ほしくないのだろう。
義父もそういうところがあった。
そのために義母に命さえ捧げたような。

逆に義母は、いくらあれこれやって
あげても満足しない人だった。
割れ鍋に綴じ蓋。
あ、私の両親もそうだったか。

極端と極端がくっついて
バランスをとっている。

ともあれ、夫は与える、捧げることを望む魂。
私は誰かのためにも動きたいと思う。 
だが夫はあまりそれを望んでいない。
口では言わないが、家に居てほしいみたいだ。

私は外に出て、たまには埋め合わせに
何かしてあげるのもいいかと思っているのだが。
基本は家にいるのが好きなので
今のところOK。

与える魂には、貰う魂、
その関係を保つのがいいのかな。
自分はまた他の人に与えればいい。


最近、物がよく無くなる。

2015-03-04 22:09:22 | 気づき
おかしいな?思っていると、
あり得ないところから出てくる。
探しても見つからなかった、
まさにそこから出てくる。
今日は、なんと何もない空間から出現してきた。

以前の私だったら恐いと思っただろうな。

最近はあまりにも頻繁なのでいちいち考えなくなった。
まあ出てきたんだから、いいよね。と思うようにした。

いろんなことを見せていただいているのだな、

あるいは神が私に気づかせるために見せている事柄かもしれない。

その意味なんだろう?私がやっていくこと、事象を通じて何かを伝える役目があるのかもしれない。だから細々と伝えていきます。

◎幸せの基準と価値観◎

2013-07-26 14:25:45 | 気づき

幸せの基準、価値観が
相当ねじくれていたことに気づいた。

幸せは、自分から何もしないで得られるものではなかった。

無意識にうまくいっている人を羨み自分は何もしない。
美味しいものを食べたいだけ食べて、
寝たいだけ寝る。
格好いい人と付き合いたいと思い、
欲しいものを際限もなく買う。

このような考えに振り回されて生きてきた。
それは引き継いだDNA、親の生活習慣や考え方、
学校で教えられた価値観などによるところが大きい。

無意識なので、それがどんなことをもたらすか
考えることもなかった。

そのツケを今払っているようだ。
病気になったこと、あちこちの体の痛みもそうだ。

足りなかったのは、
「愛というフレーバー」

人に認めて欲しいのも、
周りを嫉むのも愛が足りないせいだ。

まず自分は完璧な存在であることを知り、
自分を愛すること。
うまくいかないことは、
神様からの愛と知り、
感謝と喜びを感じよう。
努力して得たことの方が喜びも大きい。

そのことを教えて下さっているんだと。

ありったけの愛情を注いでみよう。
自分に、住む家に、庭に、作る料理に、ペットに。もちろん仕事にも。

愛を込めることで、
物はキレイになって長持ちするし、
人との関係はよくなる。
私はまず、掃除から始めてみようかな。


コロッケパンとインナー

2013-06-21 15:49:34 | 気づき

イオンまで出かけた帰り、
「コロッケパンが食べたいなあ」
と思い店内のベーカリーを探しましたが、
何故か店が見つかりません。さっき確かにあったのに。
2回も店内を回りましたが見つけることができませんでした。
外に出たら、入った時と違う入口だったので、
元来た方へ回って再度店に入ったら、
入口すぐ側にベーカリーがあったのです。

さっきは隣の店や向かいの店はありましたが、
ベーカリーがなかったのです。
不思議でした。
しかし、その店を覗いてみましたが、
コロッケパンはありませんでした。
行っても無駄、そのことを伝えるために消滅させたのでしょうね。

その帰り道、考えていた道とは異なる道を通ったところ、
移動式のパン屋さんが。
案の定、コロッケパンがありました。
私が希望していた通りの、
牛肉の入っていないシンプルなコロッケパンが
売っていたのです。
小さなことに注意していくと、
意味があることに気づきます。感謝です。

背骨補整(矯正)インナーも手頃な値段で見つかりました。
いつか新聞で見て気になっていましたが、
価格も高く、合わなかったら無駄になるなあ
と思っていたのです。


先を越された。

2013-03-07 23:17:13 | 気づき

愛ダヨ、愛。って言おうと思っていたら、毘沙門天さんに先を越された。

どれだけ愛せるかってこと。
物を家を、ペットを、家族を自分を、自分の体を。
人を。自然を、植物を、社会を。この世のすべてを。

どれだけ多く持っているかじゃない。
どれだけ持っているものに愛情を注げるか。
目を配れるか。

たくさんの高価なものに囲まれていても、
愛情がこもっていないとモノは淋しがる。
ホコリが積もって忘れられている、
モノ達が淋しさを訴えているのがわかる。

大切にできる、適量のものに愛情を注いで暮らしていきたい。

ある日の夕食。最近の我が家はたいていこんな感じです。
シンプルが一番。素材がよければおいしいものです。


ホウレンソウのお浸しにゴマと醤油。なめことネギと絹サヤの味噌汁。
大根とミニトマトのサラダ。ドレッシングは練りごまと梅酢。
蒸し野菜。納豆にはネギと大葉。タレは使わずひしおの醤油漬けで。
手作り味噌を乗せたネギのホイル焼き。これがめちゃうまい。
大根おろし。夫の分は小魚も。

これは蒸し野菜。厚手の鍋で水がなくなるまで蒸し煮。
なんでもこの鍋でできます。上にかけたのは
アマの実を粉にしたもの。


雪かきの意味と自己反省

2013-01-18 17:10:36 | 気づき


畑の野菜(白菜)たち。大丈夫なのでしょうか?

昨日、家の前の私道を雪掻きしました。
薪を運んでくれる人が歩きやすいようにと。
やっておいてよかった。
今朝届けてくれる準備しといて間に合った。
外を歩いていたら「心配するな」と書かれた
パッケージのような物が。なるほど。
そうですか、了解しました。

こんな物を使ってメッセージをくださるんですね。
と、笑ってしまいました。
ちゃんと間に合うように届けて頂ける。準備をしておけば...
心配しなくていいのですね。
(予定よりも一日早く届けて下さったので間に合いました)


薪ストーブ。やかんに入れたお湯は、寝る前に湯たんぽに入れます。
翌朝、そのお湯で顔を洗います。親父と同じことをしている私。

自分に足りないのは「家族への感謝」
まだちゃんと感謝できていないのです。
親がいなくなってから自分本位できたことに気づき、
まだ夫にたいしても不満ばかり出て来てしまう。

一人の寂しさが図り知れないほど身に染みる歳に
なったと思います。
心からの愛と感謝を捧げたいと思います。
たったひとりの家族に。増えることのなかった私の家族。
後悔に近いやるせなさ。胸にぽっかりと開いた穴。

私の心が満たされないのは、
「あたたかな何かが自分に欠けているせいだ」と、
雪の残る晴れた日に気づく。

満たされない、私の果てしなき欲望。
風邪をひいて虫の息?で帰ってきた夫。
もしものときに取り返しはつくのだろうか。
夫の両親や家族、思いやりの深い親戚達のことを考える。
心細さを覚える日もある。
 


月桂樹

2012-12-10 11:49:50 | 気づき

10年前、埼玉の越谷のアパートの庭に植えていた月桂樹を、引越しのため、千葉の我孫子に運び、植え変えた。

浦和に住んでいた頃、いただいた苗木をマンションのベランダに置いていたものだ。鉢植えだったが、日当たりがよいせいか、よく育った。

当時、一緒に住んでいた姉が結婚するため、私はひとりで越谷への引越しを決め、月桂樹を越谷のアパートの庭に植え変えた(もちろん大家さんの許可を得て)。

月桂樹は我が意を得たように、ますます元気に大きく育った。
その後、私自身の結婚のため、越谷から我孫子へ引っ越すことになった。

そして月桂樹を我孫子のマンションの庭に植え変えた。すると、彼はだんだん元気がなくなり、やがて枯れてしまった。
1月だったので、植え変えの時期じゃなかったためだ。(知らなかったためにかわいそうなことをしてしまった)。

月桂樹は、願いを叶える木と言われている。

そして私が結婚できたのも、この木のおかげかも知れない、とひそかに思っている。
月桂樹は、もう自分は必要なくなったと悟り、天寿を全うしたんだ、と思うことにした。合掌m(_ _)m


余分なものはない方が美しい。

2012-12-08 23:08:46 | 気づき

余分なものはない方が美しい。
肉体も心の中も家の中も。

余分な言葉が多いと何が言いたいのかわからない。
余分なものが多いと、必要なものが探せない。
余分な思いが多いと、何が本当か見えにくい。
余分な思いが多いと、本当はどうしたいのか、自分でわからなくなる。

余分な音が多いと、聞き取りにくい。
心の贅肉をとってすっきりとしよう。
視界がクリアーだと、間違えない。

余分な思いがないと、片付けが進む。
余分な思いがないと、心と体が軽い。
余分な思いがないと、必要な時、すぐに動ける。
余分な思いがないと、恨んだり悔やんだりしなくなる。

余分な思いがないと、悲しみに捕らわれない。
余分な思いがないと、うれしい、楽しい。
余分な思いがないと、集中できる。

余分な思いがないと、宇宙と同調している。
だから余分な思いがないと、コトがスムーズに進む。
余分な思いがないと、人とうまくやれる。
余分な思いがないと、友達が増える。
余分な思いがないと、家族とも仲良し。

余分なものを持ってない人と一緒にいるのは楽しい。

人は皆、親切で思いやりに溢れているのが、本来の姿だから。


ちょっとしたことだけど。

2012-11-01 16:18:31 | 気づき

心の声を無視したら、すべりました。
坂道どちらの坂道から降りようか、と考えた末、いつもの、
なだらかな方を選んでおりたら、滑りました。

ちょっとしたことでしたが、いつもと違う方、という心の声があったのに、
習慣や思い込みからいつもの方を選んでしまった結果でした。

これからはちゃんと心の声を聞くようにしようと思いました。

夏ごろかなあ、いつもと違う雲の形に気づきました。
なんか、長いこと生きてきたけど、
初めてみる形が多いので変だなあ、と思っていました。
地震や異常気象などで、地球が変化してきているせいかなあ、
と思っていました。

でも、なんか不思議だなあ、と思っていたら、
UFOが雲に形を変えて来ていたということが言われていて、納得しました。