2017年11月29日から、タイトル変更しました。
今までの経験から気づいたことを綴ります。大昔の体験だけど今その意味が分かった、なんてことがよくあります。一生をかけて解明されていくのかもしれませんね。
貧乏の理由。
母は最後、清掃の仕事をしていました。7年くらい働いていて、毎日行っていたので社会保険にも加入していました。70歳近くにもなり体がしんどくなってきたので辞めることにしました。もう一人の方と一緒に辞めました。それはいいんですが、そのもう一人の方が、10月に辞めるというので、合わせて辞めたんですね。本当は、12月に賞与を貰って辞めたいと思ったそうです。もう一人の方、Oさんが賞与を貰って辞めるなんてみっともない、というので一緒に10月に辞めることにしたんだそうです。
私は「えっ、じゃあお母さんは12月に辞めたらいいじゃない?」と言ったんですが、やはりみっともないからそういうことはできない、と言うのです。確かに一緒に働いていた方が辞めた後2か月後に1人で辞める、というのは心苦しいかもしれません。でもそれは一時のこと。恥ずかしいからっていう問題じゃないと思います。
お金がないから働いていたわけで。しかもその後何年もそのOさんのせいで賞与貰えなかったことを言い続けているのです。あの人のせいで貰えなかった、と。受け取らない選択をしたのは自分、なのに。
自分軸がブレていて(私もその傾向があります)流された末に人のせいにする、こういう習慣はよくないですね。昔からずっとそういう考え方をしてきて自分で決めることをして来なかった、そして変わることもできない。一生そのスパイラルから抜け出ることを選択できないで終わるだろうと思います。
母は今度の一月で90歳。認知症もかなり進んでいて哀れに思いますが、どうすることもできません。少なくとも私はそこから抜け出る生き方を選択していくのみです。もちろん母のことは大好きだし、いいところもいっぱいあります。
両親はたくさんの気づきの宝庫、といっていいでしょう。