朝の4時くらい。
明るいので、ベッドから窓の外を見ると、
満月が煌々と輝いて、辺りを照らしていました。
画像だと暗いですが、実際は明るくて幻想的でした。
ベッドに差し込む月明かりなんて、
童話に出て来るお姫様?
みたいと思って感動しました。
空気が澄んでいるので星もよく見えます。
山並みが見えるのも、懐かしくてうれしい。(*^o^*)
みたいな近くの神社です。
今日も薪を拾わせていただきました。
ありがとうございます。
今年は寒い上にやはり戸建は冷えるので、
連れてきた植物達の元気がありません。葉っぱが凍ってしまいました。
先日亡くなった義父にいただいた金の成る(鐘の鳴る?)木です。
ゴメンなさい。全部中に入れられなくて。
かわいそうなことをしました。合掌。(ρ_;)
雨の日は雨の音が、風の日は風の音が聞こえる。お寺の鐘の音が聞こえてくる。
聞いたことのない鳥の声が聞こえてくる。外の気温が家の中でわかる。
マンションで暮らしていた、ついこの前まではなかったこと。
今朝は薪を拾いに行った。ちょっと前までは考えたことのなかった薪ストーブで暖をとる生活。ちょっとした加減が必要とわかってきた。ちゃんと燃えてから窓を閉めること。不完全燃焼だと、くすぶって部屋の中が2階まで煙だらけになること。
火の係りは私。都市生活者の夫は火を怖がって近づかない。
窓からは青い空と背の高い木が見える。朝日と夕日が拝める幸せ。布団が朝日の木漏れ日に照らされている幸せ。壮大な夕日が見晴らしのいい西の窓から見える幸せ。
昔は当たり前にどの家からも見えたと思うお日様。今は両方見ることができる家は少ないと思う。そんなところからも、人々の意識がズレてしまっている気がする。お天道様に意識を合わせていれば、自然に背くことを、したくなくなるのではないだろうか。(太陽=お天道様ではないけれど、ここでは広範囲の意味で同義とさせていただく)
自転車で10分も行けば街中なのに、ここは別世界。郷の家です。
今が幸せで、他はどうでもいい気がしてきた。今を楽しもう。
近くの清河寺温泉に行ってきた。露店風呂から竹林と明るいお月様を眺めました。
気持ちよかった。つくづくいいところです。
クリスマスイブなのでレストラン「馬車道」で納豆とキノコの和風スパゲティーセット。スパゲティーもサラダもボリュームがあっておいしい。炭火焼コーヒーもおいしかった。
ここへ来てから、気の流れが変わった。自分の体内も変わってきている。乾いていたカップに水が注がれているようだ。
階段の上り下りで、ふくらはぎが筋肉痛。家の木の階段は気持ちいい。日常生活で体が鍛えられるのはいいと思う。動かざるを得ない状況にあれば、動くから。
うー、キレる寸前!
引っ越し準備中、片付けられないように1個だけ置いておいた
掃除用具を片付けられ、料理のために、わざわざどかして開けておいた
スペースに、また同じ物を置かれ、うー、役にたたん!
とイライラしちゃった。
夫くんは、ただ単に家の仕事の手伝い経験がなかっただけで、
邪魔しようとしてるわけじゃなく、むしろ、手伝おうとしてこうなるんだ、
とわかってはいるけれども。
そして、ここにこれを置いた意味、考えて!といつも思う。
なるべく細かく指示はしてるけど、どうしても忘れる。
普通わかるよね!ということも、まんまとわかってくれない。
そして応用がきかない。
思考回路が違うとこうなのか、とほほ。
さあ、あと一息、気を取り直して頑張ろう!
思えば、すべてが同時進行でした。ヒーラーになるための準備、引越し先の土地探しと契約、そして父の死、母の自宅介護から施設への移動の話。
すべてがこの10月に起こり、流れていきました。よく来れたと思います。特に夫に感謝です。彼は働きながらすべてをこなしました。
喪主としてお寺や親戚への連絡、通夜、告別式から四十九日までのこと。
古いお墓を新しくしたので、業者との打ち合わせとすべての必要事項。
不動産業者とのやり取りと購入に関するすべて(もちろん私もできることはやりました)。
新しい年を迎えるにあたって、準備進行中です。
10年前、埼玉の越谷のアパートの庭に植えていた月桂樹を、引越しのため、千葉の我孫子に運び、植え変えた。
浦和に住んでいた頃、いただいた苗木をマンションのベランダに置いていたものだ。鉢植えだったが、日当たりがよいせいか、よく育った。
当時、一緒に住んでいた姉が結婚するため、私はひとりで越谷への引越しを決め、月桂樹を越谷のアパートの庭に植え変えた(もちろん大家さんの許可を得て)。
月桂樹は我が意を得たように、ますます元気に大きく育った。
その後、私自身の結婚のため、越谷から我孫子へ引っ越すことになった。
そして月桂樹を我孫子のマンションの庭に植え変えた。すると、彼はだんだん元気がなくなり、やがて枯れてしまった。
1月だったので、植え変えの時期じゃなかったためだ。(知らなかったためにかわいそうなことをしてしまった)。
月桂樹は、願いを叶える木と言われている。
そして私が結婚できたのも、この木のおかげかも知れない、とひそかに思っている。
月桂樹は、もう自分は必要なくなったと悟り、天寿を全うしたんだ、と思うことにした。合掌m(_ _)m
余分なものはない方が美しい。
肉体も心の中も家の中も。
余分な言葉が多いと何が言いたいのかわからない。
余分なものが多いと、必要なものが探せない。
余分な思いが多いと、何が本当か見えにくい。
余分な思いが多いと、本当はどうしたいのか、自分でわからなくなる。
余分な音が多いと、聞き取りにくい。
心の贅肉をとってすっきりとしよう。
視界がクリアーだと、間違えない。
余分な思いがないと、片付けが進む。
余分な思いがないと、心と体が軽い。
余分な思いがないと、必要な時、すぐに動ける。
余分な思いがないと、恨んだり悔やんだりしなくなる。
余分な思いがないと、悲しみに捕らわれない。
余分な思いがないと、うれしい、楽しい。
余分な思いがないと、集中できる。
余分な思いがないと、宇宙と同調している。
だから余分な思いがないと、コトがスムーズに進む。
余分な思いがないと、人とうまくやれる。
余分な思いがないと、友達が増える。
余分な思いがないと、家族とも仲良し。
余分なものを持ってない人と一緒にいるのは楽しい。
人は皆、親切で思いやりに溢れているのが、本来の姿だから。
引っ越し準備で段ボールに荷物をつめていますが、
なんでこんなに?ってくらい生地やら何やら出てきて、母と一緒じゃん、私。
人のこと言えない、としみじみ。なんとか使っていくよう努力して、
どうしても使わないものは捨てるようにしよう、と思います。
買うと捨てる物には思いも入っているので、捨てるのは結構つらいです。
これからは、買うことに責任を持ちたいと思います。
本当に使うのか?使い切ることができるのか?
熟慮したいと思います。使われないで捨てられるものはかわいそう。
姉に勧められて買ったジェニーちゃんの人形、哀れな姿になっていて愕然。
しまったまま忘れていましたが、体や顔の色まで変色していました。
出していた他の人形やぬいぐるみは変わらなかったのに。
いつも見たり声がけしたり、大事ですね。
食べたら、頭が痛くなり、まだ続いてます。
わかっていたのに、ごめんなさい、私の体さん。
白砂糖、添加物いっぱい入ってました。ソルビットまで。
そろそろこういうことの繰り返し、終わりにしよう。人に教えることが自分の学びにもなります。伝えてみましょう。