先日、調布の預言カフェに行ってきました。お告げ?は下記の内容です。わかっているけれども前に進めない状況が、ちゃんと読み取られています。内容的には普遍的にとらえることができるので、何かの参考になる人がいるかもしれません。
☆この下から↓です。
主は言われます、愛する我が娘よ、私はあなたを愛しています。あなたを導いていますよ、と主は言われています。
ビジョンで、広い道路が見えています。広い道路を今車で進んでいますけれども、主は言われます、愛する我が娘よ、私はあなたを愛していますよ。今あなたにビジョンを与えましたと主は言われています。あなたは今通っている道、とても広いですよと主は言われます。広いというのは行くべき道がまっすぐわかる、そのようなものですよと主は言われています。
しかし愛する我が娘よ、それがあなたが通る本来の道なのか、それとももっと枝葉があるのか、そのことが今から選択するという形でやってきます、と主は言われています。
愛する我が娘よ、今は本当に心地よく走っているけれども、あなたの中で不安とか考えることがあったとき、あなたに選択肢が目の前に来ますよ、と主は言われています。それはあなた自身の計画で私はこうしたいんだという思いか、周りの人の意見か、あるいは神が導く思いか、その3つの選択肢があります、と主は言われています。
愛する我が娘よ、あなたが何の変化もなく、ずっと大きな道を行ってたとしたら、注意力がなくなってくるということがあります。ですからあなたの道を本当に確信を持って進むために私はあなたを導きます、と主は言われています。そしてそれは必ずしも大きな道ではないかもしれない。そのときあなたにその選択肢が現れますよ、と主は言われています。
そのときに自分の利益のためのこと、最初はうまくいくけれども、段々力がつきてくる、頑張ろうと思っても、でも、という思いが持ち上がってくる、そのことによって今まで何度もうまくいくと思ったのに最後は私が思ったような、そんなに大した結果にならなかった、と思うようなことがありました、と主は言われています。そして周りの人が進めることに左右されて自分の思いではないけれどもこれはやった方がいいと思って選んだこと、そのことにがっかりしたことがありましたね、と主は言われています。そして最後に神が導く道というのがあります。
あなたは今まで経験していないと思うかもしれない、でも実際は愛する我が娘よ、私はあなたを生まれた時からずっと導いているんですよ、と主は言われています。ですからあなたが本当に無意識のうちに選んできたこと、それは自分の良心に沿ってあなたが選んできたことがありましたね、と主は言われています。
それは本当に神が導いているということ、あなたが気づくように、あなたの心の中に平安があるように、神が導いたことがたくさんあったんですよ、と主は言われています。ですから今あるのは選択、神が守ってきた奇跡の連続であることを知ってくださいね、と主は言われています。そしてあなたを作ったのはイエスキリストであるということを、まず受け取ってください、と主は言われます。何故ならばあなたがお母さんのお腹の中にいるときに、あなたの細胞のひとつひとつを作ったのが神ですよ、主は言われています。
あなたは神によって作られた、だから何かをいつも思いたい、とか、崇めたいとか、見上げたいとか、そういう風な思いが常にあった、そのことを覚えていますか?と主は言われています。
愛する我が娘よ、あなたにヒント、それをあなたに渡しているんですよ、と主は言われています。思い出すように、渡していますよ、と主は言われています。ですからあなたが本当に正しく生きたいとか、人の迷惑になりたくないとか、人に負担をかけたくないとか、そのような思いがあるとき、それは神の思い、神に頼ったらいいんだという思いが根底にあったからだと主は言われています。ですから神に答えたいという思いがあなたはとても強いですよ、と主は言われます。
何故ならば、あなたはモノによって、見るものによって信頼するのではなく見えない物に対しての信頼があなたはとても強いことを私は知っています、と主は言われています。あなたは漠然としたものを信じるのではなくイエスキリストがあなたの親であるということ、そのことを今日知ってくださいね、と主は言われています。あなたを強く導いている神がいるということ、そして神はたくさんはいないということ、ただひとつであるということ、そのことをあなたはなにかわからないけれども、神があなたに与えた性質によってあなたは生きていきました、と主は言われています。
ですから愛する我が娘よ、私はあなたに本当によくわかるように、今から導いていきますよ、と主は言われています。なんのために私はこれをしているんだろうか、ということがわからなければ、あなたの中に常に不安がありますよね、と主は言われています。けれども、愛する我が娘よ、私はあなたを導いています。ですからイエス様はなんのために導いているんだろうか、そのことを一生懸命考えてみてください、と主は言われています。私がこれをするのは、神様が喜ぶためにしているんではないだろうか、こういう行動をしたことはそういうことなんだろうか、という風にひとつひとつがなんとなくわかるようになってくる、それは一度ではないかもしれない、追々かもしれないけれども、あなたは自分自身の人生、腑に落ちていくようになりますよ、と主は言われています。
ですから、愛する我が娘よ、自分を信頼するというよりは、神に創られたものとして親を信頼する、その親の愛を受け取りながら進んでいく、そのことによってあなたにはいつも平安が満ちるようになります、と主は言われています。ですから、人に惑わされたりするのではなく、自分を誇示するのではなく、自分を信頼するというよりは、神が導いているんだということに立ったとき、あなたはもっともっと、今よりもっと自由になります。悩みはなくなりますよと主は言われます。それは自分を信じるとか、人を信じるとかいうところからくる悩み、それがほとんどですね、と主は言われています。愛する我が娘よ、あなたを導きますよ、そしてあなたがわかりにくいところ、それを少しずつわかるようにしていきますと主は言われています。そして導いてくれている神が、自分をこういう風にして使いたいんだな、ということがわかるように、それは時期を追っていきますけれども、そういうこともわかっていきますよ、と主は言われています。
そしてあなたは自分の中に記憶がないかもしれないけれど、私はあなたにずっと語りかけているんですよ、と主は言われています。それはあなたの記憶にはないですよね、と主は言われます。でもあなたの夢の中に溜まっていってるんですね。それが一度にあっ、こういうことって、なんでできるんだろ、という言葉、人を慰めるとか、そのいい言葉、神の言葉を使えるようになる、ポジティブな言葉がでてくるようになる、そういうようなこと、その貯金を今していますよ、と主は言われています。あなたの中で思い悩むこと、それがどうしても言葉に出てしまう、その言葉によって人に影響を与える、そのことがないように私はあなたに言葉を与えていきます。
その言葉を神様イエス様からかな、と思ったときその言葉を一生懸命、言葉が思い浮かぶというのにどういう意味があるんだろう、ということに直行する、そういうことをしてみてください、と主は言われます。愛する我が娘よ、あなたが何も考えないで何かを与えられるんではないかと瞑想するのではなく、神から与えられた愛、イエスキリストの愛という言葉に対してそれはどういう意味があるんだろうか、といろいろ考えてみる、そのときにあなたは、少しずつ少しずつ答えを得ていきます。と主は言われています。ですから愛する我が娘よ、神に愛されているものとして自分に誇りを持ってください、と主は言われています。
そしてイエスキリストという名前に力があるということ今、今日受け取ってくださいね、と主は言われます。救い主という名前なんですよ、と主は言われます。ですからその名前、イエスキリストという名前に力がある、そのことを知ってくださいねと主は言われています。愛する我が娘よ、あなたはちょっと一途な娘ですよ、と主は言われています。その一途さ、それは神によって一途さを守り抜くとき、あなたは本当に自分の能力はこれだけだったと、これだけじゃないかと思っている以上のことを神が与えていきます。
それは奇跡を起こすとか、そういう意味ではなくて、私にはもっと能力があったんだ、ということ、そのことを与えていきますよ、と主は言われます。ですから愛する我が娘よ、私はあなたを本当に喜んで導きます。そしてあなたが受け取れるように何回も何回も本当に何回も何回も与えていきます。ですから受け取れないからといって、私は駄目なんじゃないか、とか受け取れないからと思って他の物受け取ったと思い込んだりしないでください、と主は言われています。
愛する我が娘よ、私はあなたを愛しています。そして喜んで導いているということ、そしてあなたを条件つきで愛しているわけではないということ、あなたがちょっと間違ったことをしたとしても、それでもあなたを愛しますよと主は言われています。親の愛ってそういうことですよね、と主は言われます。どんなことをしても可愛い子は可愛いんですよ、と主は言われます。そのことを信頼して、そして固く守ってください。惑わしにフラフラとなっていく、そういうことは仕方ないんですけれどもイエスキリストを思い出したとき、あなたはそこに立ち返ることができます。愛する我が娘よ、私が愛し導いていることを今日受け取ってくださいね、と主は言われています。
以上☆
☆この下から↓です。
主は言われます、愛する我が娘よ、私はあなたを愛しています。あなたを導いていますよ、と主は言われています。
ビジョンで、広い道路が見えています。広い道路を今車で進んでいますけれども、主は言われます、愛する我が娘よ、私はあなたを愛していますよ。今あなたにビジョンを与えましたと主は言われています。あなたは今通っている道、とても広いですよと主は言われます。広いというのは行くべき道がまっすぐわかる、そのようなものですよと主は言われています。
しかし愛する我が娘よ、それがあなたが通る本来の道なのか、それとももっと枝葉があるのか、そのことが今から選択するという形でやってきます、と主は言われています。
愛する我が娘よ、今は本当に心地よく走っているけれども、あなたの中で不安とか考えることがあったとき、あなたに選択肢が目の前に来ますよ、と主は言われています。それはあなた自身の計画で私はこうしたいんだという思いか、周りの人の意見か、あるいは神が導く思いか、その3つの選択肢があります、と主は言われています。
愛する我が娘よ、あなたが何の変化もなく、ずっと大きな道を行ってたとしたら、注意力がなくなってくるということがあります。ですからあなたの道を本当に確信を持って進むために私はあなたを導きます、と主は言われています。そしてそれは必ずしも大きな道ではないかもしれない。そのときあなたにその選択肢が現れますよ、と主は言われています。
そのときに自分の利益のためのこと、最初はうまくいくけれども、段々力がつきてくる、頑張ろうと思っても、でも、という思いが持ち上がってくる、そのことによって今まで何度もうまくいくと思ったのに最後は私が思ったような、そんなに大した結果にならなかった、と思うようなことがありました、と主は言われています。そして周りの人が進めることに左右されて自分の思いではないけれどもこれはやった方がいいと思って選んだこと、そのことにがっかりしたことがありましたね、と主は言われています。そして最後に神が導く道というのがあります。
あなたは今まで経験していないと思うかもしれない、でも実際は愛する我が娘よ、私はあなたを生まれた時からずっと導いているんですよ、と主は言われています。ですからあなたが本当に無意識のうちに選んできたこと、それは自分の良心に沿ってあなたが選んできたことがありましたね、と主は言われています。
それは本当に神が導いているということ、あなたが気づくように、あなたの心の中に平安があるように、神が導いたことがたくさんあったんですよ、と主は言われています。ですから今あるのは選択、神が守ってきた奇跡の連続であることを知ってくださいね、と主は言われています。そしてあなたを作ったのはイエスキリストであるということを、まず受け取ってください、と主は言われます。何故ならばあなたがお母さんのお腹の中にいるときに、あなたの細胞のひとつひとつを作ったのが神ですよ、主は言われています。
あなたは神によって作られた、だから何かをいつも思いたい、とか、崇めたいとか、見上げたいとか、そういう風な思いが常にあった、そのことを覚えていますか?と主は言われています。
愛する我が娘よ、あなたにヒント、それをあなたに渡しているんですよ、と主は言われています。思い出すように、渡していますよ、と主は言われています。ですからあなたが本当に正しく生きたいとか、人の迷惑になりたくないとか、人に負担をかけたくないとか、そのような思いがあるとき、それは神の思い、神に頼ったらいいんだという思いが根底にあったからだと主は言われています。ですから神に答えたいという思いがあなたはとても強いですよ、と主は言われます。
何故ならば、あなたはモノによって、見るものによって信頼するのではなく見えない物に対しての信頼があなたはとても強いことを私は知っています、と主は言われています。あなたは漠然としたものを信じるのではなくイエスキリストがあなたの親であるということ、そのことを今日知ってくださいね、と主は言われています。あなたを強く導いている神がいるということ、そして神はたくさんはいないということ、ただひとつであるということ、そのことをあなたはなにかわからないけれども、神があなたに与えた性質によってあなたは生きていきました、と主は言われています。
ですから愛する我が娘よ、私はあなたに本当によくわかるように、今から導いていきますよ、と主は言われています。なんのために私はこれをしているんだろうか、ということがわからなければ、あなたの中に常に不安がありますよね、と主は言われています。けれども、愛する我が娘よ、私はあなたを導いています。ですからイエス様はなんのために導いているんだろうか、そのことを一生懸命考えてみてください、と主は言われています。私がこれをするのは、神様が喜ぶためにしているんではないだろうか、こういう行動をしたことはそういうことなんだろうか、という風にひとつひとつがなんとなくわかるようになってくる、それは一度ではないかもしれない、追々かもしれないけれども、あなたは自分自身の人生、腑に落ちていくようになりますよ、と主は言われています。
ですから、愛する我が娘よ、自分を信頼するというよりは、神に創られたものとして親を信頼する、その親の愛を受け取りながら進んでいく、そのことによってあなたにはいつも平安が満ちるようになります、と主は言われています。ですから、人に惑わされたりするのではなく、自分を誇示するのではなく、自分を信頼するというよりは、神が導いているんだということに立ったとき、あなたはもっともっと、今よりもっと自由になります。悩みはなくなりますよと主は言われます。それは自分を信じるとか、人を信じるとかいうところからくる悩み、それがほとんどですね、と主は言われています。愛する我が娘よ、あなたを導きますよ、そしてあなたがわかりにくいところ、それを少しずつわかるようにしていきますと主は言われています。そして導いてくれている神が、自分をこういう風にして使いたいんだな、ということがわかるように、それは時期を追っていきますけれども、そういうこともわかっていきますよ、と主は言われています。
そしてあなたは自分の中に記憶がないかもしれないけれど、私はあなたにずっと語りかけているんですよ、と主は言われています。それはあなたの記憶にはないですよね、と主は言われます。でもあなたの夢の中に溜まっていってるんですね。それが一度にあっ、こういうことって、なんでできるんだろ、という言葉、人を慰めるとか、そのいい言葉、神の言葉を使えるようになる、ポジティブな言葉がでてくるようになる、そういうようなこと、その貯金を今していますよ、と主は言われています。あなたの中で思い悩むこと、それがどうしても言葉に出てしまう、その言葉によって人に影響を与える、そのことがないように私はあなたに言葉を与えていきます。
その言葉を神様イエス様からかな、と思ったときその言葉を一生懸命、言葉が思い浮かぶというのにどういう意味があるんだろう、ということに直行する、そういうことをしてみてください、と主は言われます。愛する我が娘よ、あなたが何も考えないで何かを与えられるんではないかと瞑想するのではなく、神から与えられた愛、イエスキリストの愛という言葉に対してそれはどういう意味があるんだろうか、といろいろ考えてみる、そのときにあなたは、少しずつ少しずつ答えを得ていきます。と主は言われています。ですから愛する我が娘よ、神に愛されているものとして自分に誇りを持ってください、と主は言われています。
そしてイエスキリストという名前に力があるということ今、今日受け取ってくださいね、と主は言われます。救い主という名前なんですよ、と主は言われます。ですからその名前、イエスキリストという名前に力がある、そのことを知ってくださいねと主は言われています。愛する我が娘よ、あなたはちょっと一途な娘ですよ、と主は言われています。その一途さ、それは神によって一途さを守り抜くとき、あなたは本当に自分の能力はこれだけだったと、これだけじゃないかと思っている以上のことを神が与えていきます。
それは奇跡を起こすとか、そういう意味ではなくて、私にはもっと能力があったんだ、ということ、そのことを与えていきますよ、と主は言われます。ですから愛する我が娘よ、私はあなたを本当に喜んで導きます。そしてあなたが受け取れるように何回も何回も本当に何回も何回も与えていきます。ですから受け取れないからといって、私は駄目なんじゃないか、とか受け取れないからと思って他の物受け取ったと思い込んだりしないでください、と主は言われています。
愛する我が娘よ、私はあなたを愛しています。そして喜んで導いているということ、そしてあなたを条件つきで愛しているわけではないということ、あなたがちょっと間違ったことをしたとしても、それでもあなたを愛しますよと主は言われています。親の愛ってそういうことですよね、と主は言われます。どんなことをしても可愛い子は可愛いんですよ、と主は言われます。そのことを信頼して、そして固く守ってください。惑わしにフラフラとなっていく、そういうことは仕方ないんですけれどもイエスキリストを思い出したとき、あなたはそこに立ち返ることができます。愛する我が娘よ、私が愛し導いていることを今日受け取ってくださいね、と主は言われています。
以上☆