兎に角、五十代後半になりますと、「ついうっかり系」が多くなります。
元々、うっかり生きている僕は更にそれに拍車が掛かる訳です。
また、追い打ちを掛けるように老眼による見間違え、思い込みによる言い間違えがプラスされます。
「あ~もう嫌だ」と仕事でもプライべ-トでも失態の後に自己嫌悪に陥ることしばしば。
僕は芸術肌だから、自分のやったものを何度も何度も確認するのが嫌いなのだと
言っていた若いころと今は立場が違うのです。
最近、心理学というものに少し興味があり、入門書として、
フロイトの「精神分析学入門」を購入しました。
「失錯行為」といって、言い間違え、書き違い、度忘れにはすべて意味がある。
やったこと、言ったことには、対抗勢力となる潜在意識があるそう。
そう、その方向で解釈お願いしますと思い、読み進めています。でないと自分が怖い。
ただ、ご飯を食べていて、「あ、そうだ」と立上り、
冷蔵庫を開けた瞬間に何しに来たのか忘れるのに意味があるのだろうか。
いや、あって欲しい。
まだまだこの本を熟読し、心理学から自分を救う必要があります。
元々、うっかり生きている僕は更にそれに拍車が掛かる訳です。
また、追い打ちを掛けるように老眼による見間違え、思い込みによる言い間違えがプラスされます。
「あ~もう嫌だ」と仕事でもプライべ-トでも失態の後に自己嫌悪に陥ることしばしば。
僕は芸術肌だから、自分のやったものを何度も何度も確認するのが嫌いなのだと
言っていた若いころと今は立場が違うのです。
最近、心理学というものに少し興味があり、入門書として、
フロイトの「精神分析学入門」を購入しました。
「失錯行為」といって、言い間違え、書き違い、度忘れにはすべて意味がある。
やったこと、言ったことには、対抗勢力となる潜在意識があるそう。
そう、その方向で解釈お願いしますと思い、読み進めています。でないと自分が怖い。
ただ、ご飯を食べていて、「あ、そうだ」と立上り、
冷蔵庫を開けた瞬間に何しに来たのか忘れるのに意味があるのだろうか。
いや、あって欲しい。
まだまだこの本を熟読し、心理学から自分を救う必要があります。