昨日まで行われていたふるさとダービー福井だが、何とか100億円を突破したものの、目標の120億円には遠く及ばない104億余円だった。
ところでこの数字では、恐らく1開催通じての収支は赤じゃないのか。
それどころか、競輪では記念開催でさえここ4~5場所かの開催は目標割れが続く状態。日程繰りが良かったサマーナイトこそ過去最高の売り上げを記録したが、いよいよ、新規客層があまり増えないことによるひずみと、G1、G2、G3という格は実質的に名ばかりといった流れにより、頼みの記念開催でさえ頼りにならないようになると、競輪はまさに正念場を迎えることになろう。
永井が銅メダルを獲得しようが、「競輪と競技は関係ない」といった「知らん顔」ぶりは相も変わらず。そして、その打開策といえば、「昔の競輪に戻してくださ~い!」ではどうにもならんだろ。
一方、競輪のいわゆる「上がり」が、どれだけこの間の北京オリンピックで使われたのか分からない。競艇ではそのようなことはあまり聞いたことがないし、JRAは監督省庁が違うから、こういったところにはタッチしまい。ということは、競輪の人気衰退、消滅危機により、将来のオリンピック選手への補助金拠出、あるいはオリンピックや万博開催を予定しようにも、その費用捻出さえ難しくなるということ。そもそも、大企業はほとんどこういったところにはカネを出してないからね。
そう考えると、競輪はもっと開かれたものにすべきではないかな。
と考えると、何度も言っている三点セットの早期実現、とりわけ、選手の大量首切りは今からでも推し進めてもらいたいもの。売り上げに凡そほとんど貢献しない現在A3相当(A2下位レベルの選手も同様)の選手(約1000人)を置いておく余裕は本当の意味でないはず。
さらに、何回か言っているけど、例えば、北島康介を水面下で「スカウト」しに行き(週刊誌等の記事によると、北島には多くの業界から、億単位のオファーが来ているとか。したがって北島も話を整理できない状況であるため、今後の去就はしばらく未定とするとか。)、転向させるといったことも有効。
それと、すぐにはムリとしても、ソロソロ国際基準のルールに改めるべき。昨日のふるさとダービーの決勝では、勝負どころにもかかわらず、ジャン前からバンクの上に上がって、ノロノロとまるで歩いているかのようなプレーが見られたが、あんなことをやっているようでは、特に若い層はついてこないよ。
UCI準拠のルールとすれば、例えば競輪学校の教育期間については、自転車競技経験者についていえば、はっきりいって6~8ヶ月、トップクラスの成績を収めた選手に至っては、4~6ヶ月で十分(但し、理論教育は徹底して叩き込む必要性があるけど)。そもそも、高校生はUCIルールで競技をやっているんだから。今の競輪学校の教育って、自転車競技特別選抜枠で入学した生徒でさえ、他の生徒と同様の期間在籍した上で卒業を余儀なくされる。となると、特別選抜枠で入学した意味はほとんどない。
意味がなければ、そりゃ、競輪学校の志願者も減るわな。たまたま日本は、欧州とは違ってロードレースのプロがほとんどおらず、しかも収入が低いから、ロードプロを目指すアマ選手は少ないだろうが、ロード選手の環境が改善され、さらにツールなどに常時出場できるような環境作りが整えば(ツールなどの大レースに出場できるようになれば、当然スポンサーが増えるし、したがって収入も増える)、はっきりいって、皆ロードに取られてしまうだろう。
それと競輪はギャンブルなんだろ。ギャンブルって、要は取った取られたしかないんだから、より単純なものに寄り付くのは当たり前。大社長がよく、「競輪は頭を使って」とかいうけど、競輪が黄金時代と呼ばれた頃は逆に、頭なんかほとんど使わなかった。要は、
「こいつが一番強いから、二番目に強いそいつの番手に入るんで、こいつが頭。」
という形で予想が成り立ち、また大概はそうした形で決まっていたからこそ人気があった。もっとも、今はこうした単純図式(要は力勝負で優劣を決めるものではない、一番強い選手が、2番目に強い選手の番手に入るという競輪特有の考え方に基づく単純図式。普通に考えられている単純図式とは当然異なる。)では、客はつかないけどね。したがって、当時は競輪が一番頭を「使わなかった」というわけ。今の競輪には軸と呼べる選手がそもそもいないから、あれもこれもと手を出さないと話にならない。
ま、2009年度から特別競輪の中身が多少変わるけど、大きく期待できるものなのかは疑問だね。それよりも、オートレースが存続をかけて行った地殻変動大改革というものを、競輪もやるべきじゃないかな。また、近畿の競輪場でオートレースを売ることを考えるとか。
とにかく、今から大きく変えていかないことには、競輪の未来はないに等しいだろうね。