2021年開催の東京オリンピック2020開会式
<視点>パリ五輪を取材して 歓迎される五輪、されない五輪 運動部・山内晴信 東京新聞 2024年9月25日 06時00分
地下鉄を降り、人の波に流されていく。そのうちに聞こえてくるのは緑色の服を着たボランティアの声。「レスリング、入場ゲートはこちらです」。7~8月、パリ五輪を現地で取材した。
フランスを中心に各国から集まった老若男女のボランティアは、いつも丁寧で笑顔いっぱい。私が会場の前で迷っていると「メディアの入り口はここではなく、あちらですよ」と教えてくれ、取材パスを確認すれば「すてきな名前だね」とほめてくれる。スタンドには各国の国旗が揺れ、観衆の中に飛び込んでタッチを交わす選手もいた。
アスリートとの交流を目的に、エッフェル塔の近くに整備された「チャンピオンズ・パーク」。一般客に無料開放され、常ににぎわっていた。訪れた女性は「普段はテレビでしか見られないメダリストが間近にいる。すばらしい取り組みだ」と称賛した。
出発前、現地では五輪開催に反発する声が高まっているという報道を目にしたが、現場で見た盛り上がり、歓迎ムードは予想以上だった。
五輪憲章の前段には「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」と理念が記されている。スポーツを通じた交流と融和。それを体現しているように見えた光景に、主役は選手でも、アスリートだけではこの祭典は成り立たないと実感した。
だからこそ「もったいない」と思うのは、2021年の東京五輪。選手側と見守る側の乖離(かいり)は深刻だった。無観客の会場に喝采は降り注がず、外では「オリンピック、やめろ」という反対デモのシュプレヒコール。大会前に「代表辞退してください」という手紙を受け取ったある金メダリストは「みんなが賛同してくれるとは最初から思っていなかった」と諦めの境地を明かした。パリ五輪前、日本選手団の尾県貢団長は「3年前、暗闇の中にいた。五輪のことを語ることさえはばかられた」と振り返った。
新型コロナウイルス禍で1年延期となり、各方面に大きな影響が出ていたのは分かる。延期を理由に現役を退いた選手がいた。「本当に開催されるか不安だった」というアスリートの声も聞いた。でも再延期も含め、有観客で制限なく五輪を行うすべは本当になかったか。スポーツを通じた交流と融和の場が失われたばかりか、招致に絡む汚職まで明るみに出た。国際スポーツイベントの本来の意義が理解されるどころか、むしろ印象が悪くなった。
来年には東京で陸上の世界選手権や、聴覚障害者の国際競技会「デフリンピック」が開かれる。26年には愛知・名古屋アジア大会もある。各国から訪れる選手や一般客らとスポーツを通じた交流を深めるチャンスは、まだ残されている。日本でもパリと同じような光景が見られることを願っている。