3月17日(土)
十数年ぶりに、「水俣」に行った。
何故行ったかというと、2月10日に石牟礼道子さんが亡くなって、
大きく新聞報道がなされたこと、合わせて、いつも見てるブログでも、
自分の今の立ち位置を考えさせられる内容がアップされたこと。
改めて「水俣」を意識しているところへ、新聞で水俣市立水俣病資料館で
「石牟礼道子の見た水俣病」特別展が3月末まで開催されているとの記事を読んだ。
ちょうど、この時期はいろんな花々が咲きはじめて頭を悩ませる時ではあるが、
そんな時だからこそ、「石牟礼道子さんの生き方」を学ぶ意味があるというもの。
日頃、山や花、鳥などに心を寄せてる私にとって、「水俣」は決して
無関心ではいられない問題なんだと、今、この時に確認しておきたいと思った。
そんなことを思っていたある日、いつもの飲み友達との席で、
「今度水俣に行ってみようと思ってる」と話をすると、
「私も行きたい」という者が二人いて、後は日程の調整だけとなった。
ちょっとくどくなったが、簡単に言うと、
「水俣」に友達と3人で行ったということなんだけど、
前置きはそれくらいにして、8時半に西区の某所で待ち合わせして、
12時前には、水俣私立水俣病資料館に着いた。
やっぱし、水俣までは遠かった。ほぼ3時間は掛かった。
目的は、「石牟礼道子の見た水俣病」なんだけど
その他のコーナーもじっくりと見て回った。
ガラスに浮き上がった「あなたはどんな未来をつくりますか?」
には、私自身の主体性が問われてるかのようだった!
そしてその横には、
英語は苦手なんだが、「ここで見ること学ぶことが、
あなた自身の未来について考えることのお手伝いになれば」
なんてことかな?
それでは、「特別展」の紹介へ。
「石牟礼道子の見た水俣病」
写真を撮ってもよかったので、後で書き起こしてみた。
~石牟礼道子の見た水俣病~
水俣病患者の残酷さは、
現代の民衆が追々に荷うであろう受苦の極限にあり、
破滅期に入った人類史の水俣病とは、
原爆とともにならぶ最初の洗礼名である。
石牟礼道子は
水俣病受難者たちに
そっと
寄り添っていた
この世と
あの世の間に
身をおいて
そこには
業苦にみまわれ
生命を落とし
家族を失い
生きながらえても
意のままにならぬ
体を抱え
届かぬ思いに
身悶えする
受難者たちに
ただただ
ともに
悶える姿があった
少しだけのパネル展示ではあったが、
私的には、なかなか深い内容だった。
祈るべき 天とおもえど 天の病む
世の中には、無償のことをだまって、終始一貫、やりおおせる人間たちが、少なからずいるということを知りました。…… そのいちいちを患者たちは知らずともここに記し、終生胸にきざみ、ゆくときの花輪にいたします。もうあの黒い死旗など、要らなくなりました。目がもつれますから。(「天を病む」より)
最後のパネルには、「彼岸花」の写真と、次の言葉が添えられていた。
ある予言の中をゆくような
たとえようのない この苦しみ
ただただ この身は つねにさびしい
朝もなく 昼もないのか このくらやみは
目に見えない 聞こえない
これはもう 生まれない前の海に
戻っているのではないか
一代ではない 二代ではない生を生きて
ひょっとして先祖の悪いことが
重なっているのかもしれない
などと考えながら ふと目をあげれば
はるか向こうに
草の花のようなものが 流れてゆく
遠く離れて一輪 たしかに花が漂っている
生まれようとしている生命だろうか
もしかしたら
あれは わたしではないだろうか
「苦海浄土」の原稿
急な展示だったようで、量的には少ない感じがした。
「石牟礼道子さん」のことについて、もっともっと知りたいと思った。
そのうちに、またどこかで改めて取り上げられることを期待したい。
それでもここでは一部しか紹介できないので、
もっと知りたい人は、是非現地に行ってご自身で学ばれますように!
じっくりと特別展示や資料館を見た後は、少しだけ周辺散策。
水俣湾の水銀汚染地帯は埋め立てられていて、その最先端部分が「親水公園」。
埋め立ての記念碑が波打ち際にあり、その向こうに恋路島が見える。
06年5月1日、水俣病公式認定から50年を記念し、水俣病慰霊碑が建立された。
水俣病慰霊の碑(碑文)
不知火の海に在るすべての御霊よ
二度とこの悲劇は繰り返しません
安らかにお眠りください
この碑文が、広島の原爆の碑文同様、主語が不明だということで、
日本語としては少しおかしい、という議論もあっている。
この石碑の土台には、貝や魚の焼き物が……
かつての豊かだった水俣湾の魚介類を表しているのだろう。
そんなことを思いながら、この景色をパチリとした。
水銀に汚染されたヘドロをドラム缶に詰めて埋め立て地の中に封じ込めているそうだ。
なので、水銀汚染が完全に改善されたとは言えないのかも知れない。
そして、この「親水公園」には魂石(たまいし)がある。
この魂石は、水俣病関係者によってつくられ置かれているもので、
今回はどれだかはわからなかったが、石牟礼弘さんのもあるそうだ。
埋立記念碑や水俣病慰霊碑ほどは目立たないものの、
ひっそりと、不知火海と恋路島を見て、何かを訴えかけている。
水俣病の悲しみに耐え、今後の希望を祈っているような魂石が全部で50体ある。
中でも、この魂石には心引かれた。
まさに、「魂の叫び!」と言ってもよい迫力が伝わってきた。
桜の花びらが明るくこの空間を彩ってはいるが、
じっと無言で水俣湾を見つめる「魂石」に、この海の悲しみを感じられた。
そんなこんなで、「水俣の旅」を終わって、帰福の途に。
もうすでに2時を過ぎてはいたが、せっかくなので、、
津奈木で遅めのランチを済ませ、218号線を高千穂方面へ!
あわよくば、長湯くらいまで行けないかと欲張ってはみたが、
何のなんの、とてもたどり着けそうもなく、途中で南阿蘇方面へ。
そして、ようやく18時頃夕闇迫る高森にとうちゃこ。
4月に入ると、この山並みの裾野に咲く「オキナグサ」などを思いながら
だいぶ疲れてきたので、「月廻温泉」で汗を流して、
俵山トンネルを通る頃には、
真っ赤に染まる夕焼けに、人の世のはかなさを重ね合わせ、
それでも、人は生きてゆかねばならぬと改めて思った。
山沢さんの感性・心がこれほど我々に勇気づけられるとは正直、戸惑う感謝の気持ちです
今まで幾多の謂れなき誹謗中傷をもう 当たり前と思うほど体験した、マヒした心の荒みを持って行きようのない苦難の現実に我々は打ちの目され続けて参りました。
それ故 我々はで世間様に訴えることすら憚ることでしたが石牟礼先生の勇気あるペンの力でこうして広くご理解いただく世の中になり限りなく世間の灯が少しは明るくなっては来ました
当事者の端くれの自分がこのような記事アップすること自体が憚るその頃でしたから。こうして山沢さんが寄せて頂いたその心がどれだけ有りがたいか・・・
今度我々 水俣の旧知の皆さんにいつの日かぜひ語ってお届け致します。
画像の<魂石>も以前は心無い人によって、ペイントや 叩き壊されたこともありました、でも我々は決してそれに付いて強く非難することはやめよう!、そう言う人も含めて理解してもらってこそこの病を前進しさせようじゃないかと語り合ったものでした。
いくら書いても感謝の気持ちは終わりませんが、いつの日か山沢様と心ゆくまで語り合えたらと思います
今回は同行されましたご友人様方にもどうぞ心から感謝の気持ちをお伝えくださいますように。
水俣病の問題を始め、幾多の社会問題・人権問題などを自らの課題としてどう重ね合わせるか、そのことは私自身の生き方の問題だと思っています。
様々な事柄の全てを自らのこととして高めていくことはとうていできるものではありませんが、私の生きている小さな世界の中で、何らかの係わりを持つ事柄には、できうる限り「私自身の人間磨き」として向き合っていこうと思っています。
とは言っても、歳を重ねてすっかり錆び付いているのですが。だからこそ、意識して「人間磨き」を怠らないよう気をつけています。
ただ、あまり窮屈に生きても長続きしないので、時に山に登り、時に花を求めてうろつき、たまに鳥見などにも励んでいる次第です。
今年は、是非平尾台などでお話ができたらな、と思っています。その時はどうぞよろしくお願いします。