推定お2人とも80代後半・・・・・歩き方ご主人安定、奥様少しのふらつき見られた。天候は曇り・・・風が少し吹いている・・・時間は夕方・・・周辺は買い物客にて混雑している・・・場所はスーパーの駐車場。
腕を組みながら歩いている後姿・・・・・きっと片方が「若い方」ならば・・・きっと僕は「支援」という思考が生まれてくると思う・・・けれど・・・・これはあきらかに「仲良し夫婦」というか「恋人同士」というか・・・それとも「お互いの思いやり」というのか・・・・「支援」ではないんですよね眼に映る現実の光景が・・・・・。
この仕事を長く続けているとどうしても「高齢者」=「何か困っている」という未熟な考えが少なからずある・・・けれど・・・現実的にはこちらからのアクションが「不愉快」「ありがたいけれど迷惑」に感じられることも実は多々あると思う。
だからこそ・・・「さりげなく演出できる支援思考と行動力と演技力」というものが僕はこの業界では必要な支援方法のひとつだと感じます。
「人として」関わるという「信念」が僕にある以上・・・・・そこはごく当り前のように当り前のことを当たり前のように振舞えばいいのだろうと・・・・。
「高齢者」・・・だから・・・「矛盾」「わがまま」「暴言暴力」「無茶」が許されるという理解は僕にはじつはない・・・。
なぜなら・・・「見極め」をきちんとしていれば・・・それが「病気」からなのか・・・「性格」なのか・・・「個人的感情」なのか「寂しさ」「哀しさ」「苦しさ」なのか・・・色々と見えてくる・・・・。
高齢者は誰かがつけた「名称」であり・・・その前に人である・・・・・
認知症は誰かがつけた「名称」であり・・・その前に人である・・・・・
「優しさ」だけが「支援」なのもいいのかもしれませんが・・・・きちんと「理由」を見つけないと「依存」に変わりそこから「妬み」「嫉妬」・・・・ごく当り前の本人の感情が生まれてくる。
僕らは「医者」ではないので怪我や病気は治せませんが・・・・・「こころの寂しさや苦しさ」を理解しなおしてあげるlことが出来る素晴らしい仕事をしている・・・・
時に・・・病院では治せないものが・・・・・介護支援という最高な形で治すことも可能な仕事である。
介護をされている全ての方々に・・・・自信をもっていまの仕事を誇りに思うべき職種だと思います。
・・・タイミングが合い「老夫婦」と関わる瞬間がありました・・・・・
入り口にてお先にどうぞ・・・というアクションを言葉を使わず「手」と「笑顔」のジェスチャーで関わった。
老夫婦は・・・・・・何も言わず表情も笑顔に変わらず店のなかへ・・・・これもお互いの当り前の言動です。