一日中、雪の舞う寒い日でした。
1月17日といえば、十三年前・・・、なんとも忘れられない“一日”です。
もう神戸では小学校に通う児童は全員震災を知らない・・・、十三年という歳月はそういうものです。
良い意味でも悪い意味でも十三年という歳月が過ぎ、忘れ去ったモノ、記憶に必ず留めておきたいコト、人、それぞれだと思いますが、私は、震災の現場でボランティア活動等をおこなう中で、『他人のためだと思ってやったことが、実はそこから様々なことを教えていただき、それが自分の糧になる。』ことを大きく実感しました。
当時新大阪で仕事をしていた私は、新大阪から住吉まで移動する中で激変する世の中が実在することに驚嘆し、どちらも現実であることにまさに落胆したものでした。当時被災地は復帰出来ないのではないかというくらい大変な状況で、生活すらままならない状態でした。他人と他人が協力し合い、コミュニケーションが如何に大切で、一人では生きていけない現実を感じる一方で、共同生活が如何にストレスになるかを知りました。
暴動が起きない日本の民度が高いことを誉れに思う一方で、義援金だけで全てが解決できると思ってしまっている心の貧しい貨幣偏重社会に嫌悪感を持ったものです。
今一度、当時を想い出し、今一度“真の豊かさ”を考えたい、そんな一日が今日でした。
1月17日といえば、十三年前・・・、なんとも忘れられない“一日”です。
もう神戸では小学校に通う児童は全員震災を知らない・・・、十三年という歳月はそういうものです。
良い意味でも悪い意味でも十三年という歳月が過ぎ、忘れ去ったモノ、記憶に必ず留めておきたいコト、人、それぞれだと思いますが、私は、震災の現場でボランティア活動等をおこなう中で、『他人のためだと思ってやったことが、実はそこから様々なことを教えていただき、それが自分の糧になる。』ことを大きく実感しました。
当時新大阪で仕事をしていた私は、新大阪から住吉まで移動する中で激変する世の中が実在することに驚嘆し、どちらも現実であることにまさに落胆したものでした。当時被災地は復帰出来ないのではないかというくらい大変な状況で、生活すらままならない状態でした。他人と他人が協力し合い、コミュニケーションが如何に大切で、一人では生きていけない現実を感じる一方で、共同生活が如何にストレスになるかを知りました。
暴動が起きない日本の民度が高いことを誉れに思う一方で、義援金だけで全てが解決できると思ってしまっている心の貧しい貨幣偏重社会に嫌悪感を持ったものです。
今一度、当時を想い出し、今一度“真の豊かさ”を考えたい、そんな一日が今日でした。