今日は日本熊森協会の森山会長の話を聴く機会に恵まれた。
動物愛護団体ではなく、自然保護団体(森山さんの言葉を借りると「“自然”という概念は明治以降発生したもので、“自然保護”というよりも、世の中に生かされている現実をもっと真摯に受けとめたほうが良い」という意味で)でもなく、地球の中で生息する全てのもののバランスを考え、生かされている現実をしっかり受け止める中で、生物の多様性を尊び、『森=植物+動物』の再生を図る中で、永続性のある環境を国民全員と共に築きたい!!と力説された。
熊森というと「熊もり」⇒「熊守」で「熊を守りたい!」団体かと思われがちだが、決して、安易な動物愛護団体ではなく、有害鳥獣駆除の反対に対しても、根本的な原因の排除(奥地を取り戻すことで・・・※奥地とは人間によって手のつけられていない原生林)を自ら行っておられ、自然保護も人間の住む範囲と動物の棲む範囲、明治以前にはもっていた日本独特の共生社会の再現を目指しておられる。
そういえば、明治以前は“自然”とは畏敬と畏怖によって神と崇められていたものであり、人類の力の及ばない範囲を私たちは暗黙知として持っていたといえる。いつ頃からか、自然も手元で操れ、森にも関心がなくなり、全ての関心事が経済中心になろうとしている。今一度、身近な自然のあり方から考えてみる必要があるみたい、おそらくそんなに人類は偉くないはずだ。
動物愛護団体ではなく、自然保護団体(森山さんの言葉を借りると「“自然”という概念は明治以降発生したもので、“自然保護”というよりも、世の中に生かされている現実をもっと真摯に受けとめたほうが良い」という意味で)でもなく、地球の中で生息する全てのもののバランスを考え、生かされている現実をしっかり受け止める中で、生物の多様性を尊び、『森=植物+動物』の再生を図る中で、永続性のある環境を国民全員と共に築きたい!!と力説された。
熊森というと「熊もり」⇒「熊守」で「熊を守りたい!」団体かと思われがちだが、決して、安易な動物愛護団体ではなく、有害鳥獣駆除の反対に対しても、根本的な原因の排除(奥地を取り戻すことで・・・※奥地とは人間によって手のつけられていない原生林)を自ら行っておられ、自然保護も人間の住む範囲と動物の棲む範囲、明治以前にはもっていた日本独特の共生社会の再現を目指しておられる。
そういえば、明治以前は“自然”とは畏敬と畏怖によって神と崇められていたものであり、人類の力の及ばない範囲を私たちは暗黙知として持っていたといえる。いつ頃からか、自然も手元で操れ、森にも関心がなくなり、全ての関心事が経済中心になろうとしている。今一度、身近な自然のあり方から考えてみる必要があるみたい、おそらくそんなに人類は偉くないはずだ。