今朝ある新聞に「水一滴の尊さ」というエッセイが掲載されていた。
結びの文章に
「水がなけれは、生命は誕生しなかった。そして、世界の水問題を考えるまでもなく、地球上にある水の量は有限なのだ。一滴の尊さを思う。」とあるが、何か違和感を感じる。
地球上の「水」でわれわれが使える「水」(地下水も含めて)は0.8%と言われており、河川等われわれが使いやすいところにある「水」は0.01%でしかないようだ。
その限られた「水」を大切に使いましょうとというのなら理解できるが、地球上の「水」全体を人類が語るのはなんともおこがましい、人間のエゴのような気がしてならない。
確かに「水」がなければ生命は生まれてはこなかった、その「水」は生命の源であることに関しては誰も承知していると思う。しかし現状の「世界の水の問題」とは何か?「有限だからこそ大切なのか?」と問いかけると
「飲料水」の課題を抱えている地域や一次産業で必要な「水」に課題を抱えている地域、治水等自然災害で「水」に悩まされている地域など「水」にまつわる課題は多岐にわたる。
しかしどれも「水」の立場からの課題ではなく、「人間」から見ての課題であり、どれも水が「有限」なことが原因ではなく、われわれの「水」に対しての態度であり、「水」とどう共生するか、「水」を大切に使うというよりも「水」と真摯に向き合うことが大切なのではないか?
「水一滴」は尊い、「人間の命」も尊い、「虫や鳥の命」も尊い、「水」は有限だが、カタチを変えて地球上を循環する、そんな「水」に対して多いの少ない決して文句を言わず、常にが有り難く」接することが大切なことなのではないだろうか。
結びの文章に
「水がなけれは、生命は誕生しなかった。そして、世界の水問題を考えるまでもなく、地球上にある水の量は有限なのだ。一滴の尊さを思う。」とあるが、何か違和感を感じる。
地球上の「水」でわれわれが使える「水」(地下水も含めて)は0.8%と言われており、河川等われわれが使いやすいところにある「水」は0.01%でしかないようだ。
その限られた「水」を大切に使いましょうとというのなら理解できるが、地球上の「水」全体を人類が語るのはなんともおこがましい、人間のエゴのような気がしてならない。
確かに「水」がなければ生命は生まれてはこなかった、その「水」は生命の源であることに関しては誰も承知していると思う。しかし現状の「世界の水の問題」とは何か?「有限だからこそ大切なのか?」と問いかけると
「飲料水」の課題を抱えている地域や一次産業で必要な「水」に課題を抱えている地域、治水等自然災害で「水」に悩まされている地域など「水」にまつわる課題は多岐にわたる。
しかしどれも「水」の立場からの課題ではなく、「人間」から見ての課題であり、どれも水が「有限」なことが原因ではなく、われわれの「水」に対しての態度であり、「水」とどう共生するか、「水」を大切に使うというよりも「水」と真摯に向き合うことが大切なのではないか?
「水一滴」は尊い、「人間の命」も尊い、「虫や鳥の命」も尊い、「水」は有限だが、カタチを変えて地球上を循環する、そんな「水」に対して多いの少ない決して文句を言わず、常にが有り難く」接することが大切なことなのではないだろうか。