「無農薬栽培は、なんとなく農薬を使用しないというという点から良さそうな気がする。でも無化学肥料栽培である必然性はよくわからない・・・」と最近言われたことがある。
私たちは、無農薬・無化学肥料栽培(あえて有機栽培とはいわずに)を志向しているが、無農薬、農薬自身に“毒”のイメージがあり無農薬栽培の理解は比較的浸透しているようなので、今後は何故無化学肥料、つまり化学肥料を使わないことを信条としているのかについてもう少しいろいろな視点からお話をしたほうが良さそうに思う。
化学肥料も石油から出来ていて・・・“毒”まではいかないにしても“悪”のイメージを持っている人もいるが
化学肥料は速効性があり・・・化学肥料は臭いも少なく・・・化学肥料は保存性も高い・・・という点は有機資材との相違点で明確であり、
化学肥料を投入すると、窒素過剰になりやすく、植物に硝酸態窒素が溜まりやすくなるのか、というとそんなことは有機資材の場合も同様であり特段の差異はない。
化学肥料の弱点は永続性に欠ける点とやはりどうしても食味(食味自身も判断指標を何に持つかは難しいが)があがらない点に尽きるのではないか。
私たちが間違いがちなのは、植物を育てようとするのか、植物が育つのを助けようとするのかという私たちの立ち位置であり、考え方である。植物は確かに単品の無機の集合体で育てることは出来る、しかし、本来あるべき植物の育ち方は自らが様々な栄養素を取り込み、それぞれの成長ステージに沿って巧みに活用することがあるべき姿であり、自然界という大きな世界の中でしっかり自らの意思で成長したものが良さそうな気がする。また、植物というより、それぞれの植物の育つ土壌環境を整えることが大切で、その土壌環境の決定要因の多くは微生物が握っているとするなら、微生物のすみやすい環境を築くことに力を注いだ方がまずはわかりやすく、その環境は持続性がありそうな気がする。最近は肥料も出来るだけ少ない方が良さそうだと感じている。微生物と付き合うということは、なかなか見えないもの(人間の肉眼では)と付き合うということになり、出来るだけ感性を磨いておかないと第六感が働かない。無化学肥料栽培とは、風を感じて農を楽しむ!!そんな農法なのかもしれない。
私たちは、無農薬・無化学肥料栽培(あえて有機栽培とはいわずに)を志向しているが、無農薬、農薬自身に“毒”のイメージがあり無農薬栽培の理解は比較的浸透しているようなので、今後は何故無化学肥料、つまり化学肥料を使わないことを信条としているのかについてもう少しいろいろな視点からお話をしたほうが良さそうに思う。
化学肥料も石油から出来ていて・・・“毒”まではいかないにしても“悪”のイメージを持っている人もいるが
化学肥料は速効性があり・・・化学肥料は臭いも少なく・・・化学肥料は保存性も高い・・・という点は有機資材との相違点で明確であり、
化学肥料を投入すると、窒素過剰になりやすく、植物に硝酸態窒素が溜まりやすくなるのか、というとそんなことは有機資材の場合も同様であり特段の差異はない。
化学肥料の弱点は永続性に欠ける点とやはりどうしても食味(食味自身も判断指標を何に持つかは難しいが)があがらない点に尽きるのではないか。
私たちが間違いがちなのは、植物を育てようとするのか、植物が育つのを助けようとするのかという私たちの立ち位置であり、考え方である。植物は確かに単品の無機の集合体で育てることは出来る、しかし、本来あるべき植物の育ち方は自らが様々な栄養素を取り込み、それぞれの成長ステージに沿って巧みに活用することがあるべき姿であり、自然界という大きな世界の中でしっかり自らの意思で成長したものが良さそうな気がする。また、植物というより、それぞれの植物の育つ土壌環境を整えることが大切で、その土壌環境の決定要因の多くは微生物が握っているとするなら、微生物のすみやすい環境を築くことに力を注いだ方がまずはわかりやすく、その環境は持続性がありそうな気がする。最近は肥料も出来るだけ少ない方が良さそうだと感じている。微生物と付き合うということは、なかなか見えないもの(人間の肉眼では)と付き合うということになり、出来るだけ感性を磨いておかないと第六感が働かない。無化学肥料栽培とは、風を感じて農を楽しむ!!そんな農法なのかもしれない。
なかなかそこまで行けないけどね。
私の貧弱な経験では、科学肥料を使うほど農薬に頼りたくなる結果に成るように思うのですが・・
「人為を介さないで命の糧に恵まれる」そこにどこまで近づけるか? じゃないかな~ぁ ナマ言いますが。