かなりアバウトにしか書けなかったけれど、92点でした。答案も解説書類付きで返ってきており、各問ごと、AとかBとかに+や−がついたり、つかなかったりで評価されていました。バス2台分の人数の答案を、このスピードで返却され、丁寧に採点されており、頭の下がる思いです。
試験問題には、「2017年度①」などと書かれていたので、数パターンあるのでしょう。配布資料が多いのでよく整理しておくこと、初日冒頭の項目、そして先生の方も、スクーリングで奈良の歴史地理をしっかり学んでもらおうと、答案にはこれを書いてもらおうと、特に、試験直前にこれが大切ですよ、つまりこれとこれ、これ、これと説明されたことが、そのまま大問の1つの解答であったりしました。学んで帰ってほしいことは、口を酸っぱくして話されていました。
試験のことは脇に置いて、江戸時代の奈良。江戸時代といえば一国一領主かと思っていましたが、奈良においては、同一河川から用水を取る村ごとに領主が異なり、その小さな村と小さな村とが水争いをし、訴訟が起こります。そして、その訴状、答弁書に、明確な主張と反論、経緯・理由、さらには配慮して欲しい事項などが見事に書かれています。提起した村の代表者ではなく、役人が作成したのものなのか? 今でも巷の自治会長が容易に作ることができるものではないと言ってよいと思います。この時代の政治体制のもと、法治国家として、末端のレベルの高さが窺えます。
奈良盆地の水はどこから来て、どのように流れ、どこに行くのか。その地理条件のもと、条里地割、集村・環濠、溜池が、成立時期が異なりながら、積み重なって村落景観が形成され、そして現在、それが失われつつある。丘歩き、しんどかったが、よく勉強させていただきました。
葛城市歴史博物館では、スク生が先生を取り囲み質問が続くなど、先生も大変でしたが、皆さん、この機会にと熱気が伝わるスクーリングでした。