奈良・佛教大学通信 奈良!奈良!いつもは京都

奈良大通信卒業後佛教大通信へ。日本史を学ぶOLD大学生の記録です。

コロナ後のこの国

2020-05-02 03:40:00 | 日記
今日、東京都の感染者がまた160人を超えた。
このコロナ禍は、厄介である。
しかし、このコロナの後の日本を考えるとき、大きな希望をもってみたり、夢想してみたりしている。
このたびのコロナ禍は、日本の弱点の隅々を見せつけることになるのではないか。
医療体制の脆弱さ、ソフト作成を含むIT化能力の弱さ、文書主義による役所・企業の固陋性、これらが今回、強制的に引き裂かれつつある。

慎重さは、良識である。

その上で、医療用品・設備など社会的ストックの重要性は言うに及ばず、感染症、津波、水害、地震、火山噴火に汎用的に対応できる国の政策が必要ではないか。感染症患者を受け入れる施設をあらかじめ設定していれば、津波で家を失った人も受け入れられるはずである。体育館で寝泊りするのは、御免である。感染症でガラ空きになるホテルをそれ用に指定して、設備を整えるておくこともできるのではないか。
自分の行動をスマホで証明されるのは絶対に嫌だが、マイナンバーカードに銀行口座と確定申告内容が連携されているのは、賛成する。救援を迅速に受けられるからである。国家や企業にコントロールされるかもで、マイナンバーカード作成を拒むのは、戸籍を役所に預け、スマホを使う限り、あまり意味をもたないので、それを認めたうえで、方向を転換する必要がある。
とは言っても、インターネット網が完全にダウンした時の、超アナログなシステムも同時に作っておく必要はあるだろう。噴火による火山灰の堆積は、電力網を徹底的にダウンさせる。
印鑑を紙に押すのは滑稽ではある。テレワークやネット授業は大幅に認めても良いのではないか。オフィス需要が減って困る事業もあるだろうが、業務連絡の電話の向こうで子供の声が響くのも良いものだと感じたりする。不毛な通勤時間を削減できる。
仮にこれらのことをするとしたら、どれだけの社会的コストがかかるのであろうか。時代を一気に進めるコストである。
大臣の過半数は、国会議員でなければならないのであったか?能力主義でスカウトして、大臣にすればよいではないか、どこかの国のように。政権欲しさか復讐に金切り声を上げたり、謝れだとかなんだかの、ああだこうだと相手の立場をなくそうと言いたてるのが政争の常道だなどと、見え見えの醜悪さが堂々と通用している。軍備縮小を言うのは、天皇の統帥権を犯すものだと言って、政党間の権力抗争の果てに政党政治の命脈を絶ち、軍部独裁を加速した政党人がいたではないか。
国会議員は半分でよいし、議員には大臣になる以外のステータスを作ればよいではないか。信長は茶器を家臣らに下付して、領地に代替させたのではなかったか。
コロナ事態は現在も、この国を変化させようとしている。ああだこうだと言って得点を盗もうとするのではなく、新しい日本を作ろうと弁舌を振るい尽くす政治家はいないのか。


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