東風吹かば思い起こせよ梅の花 主人なしとて春な忘れそ
都を去る菅原道真の歌
道真より百数十年遡る。道真と同様に学問・実務に秀でた和気清麻呂、吉備真備という、いわゆる能吏。清麻呂は、宇佐八幡宮から「無道の人(称徳天皇が寵愛していた道鏡)は宜しく掃い除くべし」というご神託を持ち帰り、穢(きたな)麻呂と改名させられたうえ大隅国へ流罪、暗殺まで試みられる。一方、真備も遣唐留学生となり天文学、兵学など広く学び重用されていたが、藤原仲麻呂が専権をふるうようになると、筑前守、肥前守と左遷を繰り返し強いられる。
しかしながら、清麻呂は道鏡が失脚すると入京を許され、官界に復帰し、桓武期に昇進、重用され、公卿の地位に昇っている。真備も、新羅に対する防衛のため、筑前国に怡土城を築くなど余人に代え難い功績を挙げ、70歳で帰京する。そしてその年に発生した仲麻呂の乱では、中衛大将として追討軍を指揮し、乱を鎮圧する巡り合わせになる。その後真備は右大臣にまで昇進する。学者から立身して大臣になったのは、近世以前では、真備と道真のみとされる。
道真、清麻呂そして真備はそれぞれご祭神として祀られ、多くの学生、社会人らから願を掛けられるのは、理も情もあるところなのだろう。
春な忘れそ
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