旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

ABC昼帯ドラで「越路吹雪物語」第6週。

2018-03-06 16:08:07 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

昭和20年、戦局はイヨイヨ敗戦の様相が濃くなり、内地でも外地でも疲弊の色が濃くなった。宝塚の編集部でも岩谷時子の先輩編集者森が丙種合格の身体で招集されるまでになった。そして遂に8月6日広島に原爆が投下され、15日に終戦の日を迎える。

ジジの体験ですが集団疎開先で皮膚病退治のため疎開児童は月一回近くの温泉に連れていかれ入浴していました。この温泉はぬるくていつまででも入っていられる温泉でしたが、ある時皮膚がただれて恐ろしい状態になった数名が入浴されていました。その話で「広島に新型爆弾が落ちこうなった」と聞かされた。

昭和21年宝塚大劇場も進駐軍の占領から返還され再開に漕ぎつけました。最初の公演は4月で雪組、「春の踊り」と「カルメン」の2本立て。主演は春日野八千代・深緑夏子・乙羽信子さんでした。この公演は見ていませんが、6月花組公演を母に連れられ生まれて初めて宝塚少女歌劇なるものを見ました。

前にも書いたけれど最初の出しもの「メキシカーナ」で下手から銀橋たコーちゃん越路吹雪さんと日高澄子さん現われて歌い始めるとその何とも言えない魅力的な歌声と表情にググッときて以後大フアンになりました。瀧本美織さん演ずるコーチャンと舞台で見た印象とは少し違うと言う思いが消せませんが、演技として成長した瀧本さんのお陰で多分私生活はこんな人だったと思えるようになってきました。

それからは無理を言って出来るだけ舞台を見ましたが、見に行けない時は音質の悪いラジオにしがみついてタップの音と台詞だけ聞いて満足していました。ジジがコーちゃんをエンターテナーとして認識したのは24年1月公演のショー「ブギウギ巴里」。もうこれは宝塚の誰も真似できない世界だと思いました。

今でもそうですが当時も2‐3本建てで、日本物や洋物に狂言やレヴュウーと盛り沢山で次郎冠者やハムレットまで演じ、中には不本意な役も演じざるを得なかったのではないかと思います。その内映画の世界に淡島千景、乙羽信子、久慈あさみ等のスターが転身しコーちゃんも気持ちが揺れるようになったのはドラマ通り。しかし個人的に仲がよくても組の違う彼女達との接点は実際には殆ど無かったのではないかと推察します。

更に初の女役に挑戦した「カルメン」やアメリカ進駐軍軍属のニッキイ・ウイッテイさんが書かれたショーの「ワンダフルホリディ」で濃艶な姿で「ポインシアナ」を歌った時、もうこれは宝塚の限界を超えたと思いましたね。そして間もなく確か東宝演劇部に移籍の形で退団に至ったと思います。(当時は情報が少なく後から風の便りに聞くことが多く、ジジの記憶も不確かで若し間違いだったらゴメンナサイ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする