旅と宝塚と写真好きジジ

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ABC昼帯ドラで「越路吹雪物語」第7週。

2018-03-09 13:39:21 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

コーちゃんこと越路吹雪に大きな転機が訪れようとしていた。前回東宝演劇部へ移籍と書きましたが、第7週を見て間違いに気づきました。ドラマによると映画プロデューサーである藤本真澄プロダクションに入ったという事です。

その前にコーちゃんの意を受けて岩谷時子さんも、退団の決意が固い事を理事長に告げ、コーちゃんも退団届を持参。ついに理事長から折衷案で、歌劇団に在籍しながら映画出演との申し出を引き出した。そしてマネージャー兼お目付けで岩谷さんも上京。映画は「東京の門」と言う歌も踊りも無い、普通の恋愛映画でした。

ジジも見ましたが、カラーでなく黒白映画で画面が何となく陰気臭くストーリーもとてもコーちゃん向きではなかった。おまけにドラマでも出て来るがまだ男役の癖が抜けきらず、体つきが何となくコツコツと骨ばって見えるし、動きがキッと振り返る時などまるで舞台の男役みたい。

おまけにラブシーンがあり下手で思わず笑いました。当時大スターだった春日野八千代さんもほぼ同時期に映画に出られましたが、見た目は兎も角、立ち居振る舞いが何となく男っぽく、声がオッサンみたいで、淡島千景や乙羽信子さんがすんなり映画の世界に溶け込めて成功したのとは違い明らかに向いていないと思いました。コーちゃんはその後コメディ風な映画にも出てそれは人柄にあっていて良かったと思いました。

その前に幼馴染の大介が訪れ、コーちゃんの心の友これも幼馴染で満州に嫁いだ八重子が引き揚げ途中で亡くなったとの訃報を受け大きなショックを受ける。しかしそれがきっかけで「自分らしく自分の生きたいように」八重子の分まで生きる決心を固め前記の退団届を出す場に至りました。

最初の映画出演は失敗したが、帝劇の「モルガンお雪」がヒットし、舞台にラジオにと活躍が始まる。そんな時日劇でシャンソン祭があり代役で出演して歌ったのが将来の持ち歌でヒットした「愛の賛歌」。この訳詞を岩谷時子さんが一晩で完成し彼女が単なるコーちゃんのマネージャーに終わらず独り立ちできる作詞家の萌芽となった。

この間コーちゃんは始めてパリへ行き、エディットピアフの歌唱に触れて強い感銘を受けたが、それを切っ掛けに日本語で歌う日本のシャンソン歌手を目指す様になり第1回のシャンソンコンサートが大成功。歌手としての道を歩み始める。

恋多きコーちゃん、恋文の飛脚を何度となくつとめさせられた岩谷時子さんがこの時衣装デザイナーだった真木小太郎との恋の橋渡しをし、結婚まで後少しの所で破局。傷心のコーちゃんが強くスペインへ行きたいと願う所で第7週が終わる。

瀧本美織さんはお芝居では上手く演じていると思うが舞台で歌うとなるとやはり生コーチャンんを知ってる身としては物足りませんがまあそれは本職じゃないから仕方がない。コーちゃんの後ごマンんと宝塚の出身者が芸能界へ進出しました。コーちゃんも最初は色んな分野で活躍したが、最後に歌手として一本立ちして生涯続けたのはコーちゃん一人だけだと思っています。

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