9/14(火) 晴れ
朝目覚めてテントから這い出るとすごい霧だ。てことは山の上に行けば雲海が見られるかもしれない。そそくさと支度をしてバイクに跨がった。
阿蘇パノラマラインを暫く行くと雲の上にいることを実感できた。神秘的な雲海だ。雲海の中にいる人はたまったものではないが。雲海の向こうには外輪山が見える。
草千里には馬がのんびりと歩いていた。9年前の冬にここを訪れた時は荒涼としていたけれど夏の景色は美しい。
米塚。お米を山にしたみたいだからかな?緑のプリンみたいだ。
南西方向には風力発電の風車も見える。
熊本の山道のカーブには道の真ん中に矢印が書かれていることも多く路面が濡れている時は要注意だ。ツルって滑るのでコース取りにも気を使う。新しいタイヤで来て良かった。
今日の目的地は長崎だ。時間を短縮する為に高速で長崎へ向かった。高速出口を出てグラバー園へ向かった。市営駐車場にバイクを止めて少し歩いた。今日の長崎は暑かった。革パンとジャケットでちょっとした坂道で汗が噴き出してきた。
大浦天主堂に至る坂道には土産物屋が連なるが呼び込みをしていないのが嬉しい。
グラバー園にはエスカレーターや動く歩道があって足腰の弱い人に優しい。でもこんなものが自分の家に設置されるとは当時住んでいた人は思わなかったことだろう。
グラバー邸の前で幕末の時代に思いを馳せる。頭の中はすでに龍馬伝だ。
キリンビールのラベルのデザインの元になった狛犬達。いつもお世話になってるよと挨拶をする。
グラバー邸の屋根裏の隠し部屋の入り口。志士達が隠れたと言う。
お昼は新地の中華街まで歩いてちゃんぽんを食べた。店に入って水を一気に飲み干したらおばちゃんがすかさずお代わりを入れてくれた。注文後すぐに出て来て味も良かった。今度来たらまたここで食べたいと思った。
次に向かったのは亀山社中跡。駐車場が近くに無いので遠くに停めてひたすら坂道を登ったり降りたりした。
その名も龍馬通り。
やっと着いた。2間程の民家でとても狭い印象だ。中には龍馬の刀、ピストル、着物などのレプリカが展示されていた。亀山社中や縁の場所には若い人が多く訪れていた。
裏にあった井戸。ここでみんな喉を潤したに違いない。
ブーツを履いて未来を見る若者の図。
達者でな、と長崎を後にした。
雲仙に入ったら広域農道でリフレッシュ、ここはあのオバマではないか。
天草へ向かうフェリーに乗った。さよなら長崎。5時間の滞在であった。
天草が見えて来た。あっという間の30分で船旅はおしまい。
海岸沿いを離れ天草上島中央広域農道へ入った。高速ワインディングを堪能できる極上の道であった。
今日も夕焼けと夕日を見ることができた。普賢岳がかすかに見えた。
島原湾を船が行く。
家族で天草の島々を回ってからもう9年も経っていたけれど、記憶に残る風景はそのままであった。
熊本市に入ったら農道や県道をつないで阿蘇のキャンプ場へ向かった。途中岩戸の里と言う温泉で今日の汚れを洗い流した。風呂上がりに昔ながらのアイスキャンディという名の氷菓子を食べた。
キャンプ場に戻ると僕のテントが8張り程の大型テントに囲まれていた。こんなに広い敷地なのになぜここに張る!?他にキャンパーはいないのにだ。車はあるが大半は高校生のようだ。そして夜中までうるさく朝は3時からうるさかった。朝知ったのだけれど引率者がいたようだ。閉口。
おまけに前日もその前も夜になるとキャンプ場を経営しているホテルに泊まっている若者達がテント近くをうろつきうるさかった。キャンパーは僕ひとりで、こちらを見て動いてるよと言っている声も聞こえた。まずないと思うが若者に襲われた時のことを考えズボンを穿いて三脚を手元に置いておいた。
このキャンプ場はおまけにゴミ持ち帰りなので次に阿蘇に来る時には候補から外れることだろう。
今日の走行距離は612kmであった。
次の日の朝、さっさとテントを畳み南へ向かった。
朝目覚めてテントから這い出るとすごい霧だ。てことは山の上に行けば雲海が見られるかもしれない。そそくさと支度をしてバイクに跨がった。
阿蘇パノラマラインを暫く行くと雲の上にいることを実感できた。神秘的な雲海だ。雲海の中にいる人はたまったものではないが。雲海の向こうには外輪山が見える。
草千里には馬がのんびりと歩いていた。9年前の冬にここを訪れた時は荒涼としていたけれど夏の景色は美しい。
米塚。お米を山にしたみたいだからかな?緑のプリンみたいだ。
南西方向には風力発電の風車も見える。
熊本の山道のカーブには道の真ん中に矢印が書かれていることも多く路面が濡れている時は要注意だ。ツルって滑るのでコース取りにも気を使う。新しいタイヤで来て良かった。
今日の目的地は長崎だ。時間を短縮する為に高速で長崎へ向かった。高速出口を出てグラバー園へ向かった。市営駐車場にバイクを止めて少し歩いた。今日の長崎は暑かった。革パンとジャケットでちょっとした坂道で汗が噴き出してきた。
大浦天主堂に至る坂道には土産物屋が連なるが呼び込みをしていないのが嬉しい。
グラバー園にはエスカレーターや動く歩道があって足腰の弱い人に優しい。でもこんなものが自分の家に設置されるとは当時住んでいた人は思わなかったことだろう。
グラバー邸の前で幕末の時代に思いを馳せる。頭の中はすでに龍馬伝だ。
キリンビールのラベルのデザインの元になった狛犬達。いつもお世話になってるよと挨拶をする。
グラバー邸の屋根裏の隠し部屋の入り口。志士達が隠れたと言う。
お昼は新地の中華街まで歩いてちゃんぽんを食べた。店に入って水を一気に飲み干したらおばちゃんがすかさずお代わりを入れてくれた。注文後すぐに出て来て味も良かった。今度来たらまたここで食べたいと思った。
次に向かったのは亀山社中跡。駐車場が近くに無いので遠くに停めてひたすら坂道を登ったり降りたりした。
その名も龍馬通り。
やっと着いた。2間程の民家でとても狭い印象だ。中には龍馬の刀、ピストル、着物などのレプリカが展示されていた。亀山社中や縁の場所には若い人が多く訪れていた。
裏にあった井戸。ここでみんな喉を潤したに違いない。
ブーツを履いて未来を見る若者の図。
達者でな、と長崎を後にした。
雲仙に入ったら広域農道でリフレッシュ、ここはあのオバマではないか。
天草へ向かうフェリーに乗った。さよなら長崎。5時間の滞在であった。
天草が見えて来た。あっという間の30分で船旅はおしまい。
海岸沿いを離れ天草上島中央広域農道へ入った。高速ワインディングを堪能できる極上の道であった。
今日も夕焼けと夕日を見ることができた。普賢岳がかすかに見えた。
島原湾を船が行く。
家族で天草の島々を回ってからもう9年も経っていたけれど、記憶に残る風景はそのままであった。
熊本市に入ったら農道や県道をつないで阿蘇のキャンプ場へ向かった。途中岩戸の里と言う温泉で今日の汚れを洗い流した。風呂上がりに昔ながらのアイスキャンディという名の氷菓子を食べた。
キャンプ場に戻ると僕のテントが8張り程の大型テントに囲まれていた。こんなに広い敷地なのになぜここに張る!?他にキャンパーはいないのにだ。車はあるが大半は高校生のようだ。そして夜中までうるさく朝は3時からうるさかった。朝知ったのだけれど引率者がいたようだ。閉口。
おまけに前日もその前も夜になるとキャンプ場を経営しているホテルに泊まっている若者達がテント近くをうろつきうるさかった。キャンパーは僕ひとりで、こちらを見て動いてるよと言っている声も聞こえた。まずないと思うが若者に襲われた時のことを考えズボンを穿いて三脚を手元に置いておいた。
このキャンプ場はおまけにゴミ持ち帰りなので次に阿蘇に来る時には候補から外れることだろう。
今日の走行距離は612kmであった。
次の日の朝、さっさとテントを畳み南へ向かった。