夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

急がば回れ

2016年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム


音楽イベントで訪れた琵琶湖、つい郷里の浜名湖と比較してしまう
日本最大の湖は折からの風と雨で波が立って海のよう、美しい日本にはこうした風光明媚な地が沢山ある

都に近い琵琶湖が「近淡海(ちかつあふみ)」で、遠い浜名湖が「遠淡海(とほつあふみ)」近江と遠江の語源という
浜名湖は15世紀の地震と高潮で海とつながり、淡水と海水が入り混じる湖になった

滋賀県の六分の一を占めるという琵琶湖は交通輸送路としてまた京都の取水源として機能した
高度成長時代に運河を作って日本海、太平洋、瀬戸内海を結ぶ構想があったという、これが実現したら船で瀬戸内海から琵琶湖を経て日本海に向かうクルーズが可能になったかしら

湖畔を散策するとサイクリングロードが続き、稲の刈り取りが終わった水田が周囲に広がる
山系に囲まれて水資源に恵まれた地は豊かで美しい、民家には石造りの屋根に覆われたお地蔵様が鎮座し、土蔵が残っている

さてハワイで生まれたギター奏法スラック・キーをキーワードにして各地からファンが集う
70年代には誰も聴いてくれなかった、「スティールギターが入っていないのはハワイアンではない(?)」くらい日本のハワイアンイメージは強固だった

九州のホテルに招かれたマカハ・サンズ・オブ・ニイハウがハワイアンらしくないということで一週間でハワイに帰されたエピソードも今では懐かしい
我々もあの頃米軍の基地を回り、ハワイアン達のイベントで演奏したものだ

北九州や四国、名古屋そして東京からやってきたフリーク達は思い思いの出で立ちで演奏を楽しみ、再会を祝す
湖を背景に設定されたステージは降り続く雨対策のテントとビニールの中で大変だったが、与えられた時間を精一杯楽しんでいた

東京から駆けつけてくれたHさん、Iさんには充分な演奏がお届けできなくて申し訳なかった
それでもあのロケーションで各地の様々な方と話ができてよかったと言ってくれて救われた

「急がば回れ」は琵琶湖の渡し船が度々欠航するので急ぐなら遠回りでも、、として生まれた言葉だそうな
あれから40年、回り道ばかりしているが、それでいい

音楽には人間性が如実に出る、性急に結果を求めようとすればそれなりに、素直に音楽に浸ることができれば空間が広がる
いいお手本、よくないお手本も、何かを得て帰ってくれたならそれでいい

お泊まり保育は、初めてお会いした方たちと色々な話をすることができた
たった数曲の演奏をきっかけにしてベースやスティールの音楽談義をする、、音楽の話ができる人とは話が続く

いい人と出会って、いい音楽をやる
人生、急がば回れ、か


The Seldom Scene “Wait A Minute” | Jubilee | KET


Billy Hew Len-How'd Ya Do

Jerry Byrd - Kawohikukapulani - Steel Guitar


湘南の夏

2016年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム


思い立って江ノ島を散策する
TVの特集番組に感化されてたまには電車で行ってみるか、と何十年ぶりかで

ロマンスカーに乗って向かえば30分で行ける地に住んでいながら用がなければ行かなかった
商店街に海の近くらしいグッズやお土産を並べるお店、飲食店が続き、これを眺めながら歩くのが楽しい

ギャラリーがあり焼き物と写真が展示されている
店内を覗いてから表の等身大の人形を見るとウクレレを下げているので、案内を配っているお二人につい話しかけてしまった

あとで気がついたのだが、写真を展示していたのはミュージシャンで、私は彼の書いたウクレレ教本を持っていた
こちらがアロハを着た変わったおじさんで、あちらはパラカシャツを着たアーチストだった、ああ話しかければよかった

江ノ島の弁天様は音楽やアートの神様、拝観料200円を払って妖艶な神様に願をかける
帰路、児玉神社という社があり日露戦争当時の軍人を祀っているらしい

ロシアから恐れられた軍人は台湾での統治時代に現地から崇敬されていたようで石材は台湾から贈られたとある
非道極悪な軍人もいたかもしれないが、多くの将兵は日本人としての理性を有しアジア太平洋諸国との友好を願っていたに違いない

国民の困窮を強いながら原爆実験を行った北朝鮮の愚挙は、戦争の先輩である我が国からお止めなさいと言わなければいけない
兵器を作るなら農産物や輸出製品を作って国を豊かにすべきであり、それが施政者の仕事だろう

北方領土問題はじめ周辺諸国との問題解決には事実関係の擦り合わせが重要だ
自国の利益を優先させたいがために原爆実験やら空爆やら行う国には事実を突きつけ延々と追及する

さて海を見ながらの江ノ電の旅は忘れかけていた昭和の日本を思い出させてくれる
泳げない私にも海のそばのボーッとした時間の過ごし方を教えてくれる

この地に終の住処を決めた先人たちの心に思いを馳せながら帰途につく
海のそばっていいもんだ




Raiatea Helm, et. al. "Ka Naʻi Aupuni" (A Song of Hawaiian Unity)

追体験、語り継ぐこと

2016年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム


母の命日を迎えて西伊豆の墓所を訪れた
熱海をはじめ伊豆半島全体の観光地はシャッター化が進んで寂しい

高度成長時代の社内旅行をあてこんだビジネスモデルがもはや通用しない時代であるとしても「不況」が直接の原因だ
リーズナブルと評される旅館には中国人と思しきスタッフがたどたどしい日本語でサービスをする

大型観光バスで大挙して来ている外国人の話す言葉はどうやら中国語だ
中国人スタッフが中国人観光客を相手にビジネスを展開して糊口をしのいでいるならもはや産業の空洞化が日本国内で行われているわけであり、アベノミクスは機能していないのではないか

穏やかな駿河湾を見下ろす山村から夢を見て新天地を目指した祖先たちを思いやる
アメリカに密航したという祖父の兄の子孫にも会ってみたいと八丈島に出かけた亡父の気持ちもわかる

片田舎の山村や漁村、農村にも第二次大戦の影響はあった
生きて帰れた人はいい方で貧しい暮らしから必死の思いで育てられた少年を死に追いやる戦争は憎い

同じ年代を生きた忌野清志郎氏の母親の最初の夫がレイテ島で戦死したそうだ
戦後再婚して彼を生んだ母は三歳の時に亡くなって姉夫婦に育てられたという

追慕する実母の写真や短歌を見たのは物心ついてから、戦争に対する憎悪を母から受け継いだ
愛する人を紙一枚で召集され、紙一枚で戦死を告げられる残酷を一体誰に許されるのだろうか

終戦記念日が近づいてきてあの忌まわしい戦争の記録が報道される
戦時中の覇権主義は満州など一時の夢を与えたもののそれは絵に描いた餅でしかなかった

戦争体験のある人が身近にいなくなった今、追体験をして世に語り継ぐこと
それが我々に託された仕事か、





20091231 耳をすませば・忌野清志郎

剪定と品種改良

2016年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム


買ったほうが安いとわかっていながら懲りもしないで毎年トマトやキュウリを植える
300円で何個も買えるトマトを作りたくて、百数十円の苗を求めて成長を見守る

5月のホームセンターには、トマトだけでも相当種の苗が並ぶ
糖度を追求したフルーツトマト、イタリア由来の料理用の品種、房なりに成るもの、「フラガール」なる品種名まで登場した

栽培が面白いのは、失敗するからだ
充分な日照と風通しを確保する間隔、土壌の改良と肥料の確保、適切な水分としかし雨の回避など、、、やってられない位の面倒を要求される

やったことはないが、雑草を放置して肥料もあげない、種だけ蒔いてあとは自然に任せるという「自然農法」なる世界もある
種子を練り込んだ土の団子を原野に放り投げるだけ、で収穫を待つというのはズボラな人間には魅力的だ

最近のトマトは実がびっしり詰まっている
昔のトマトは空間があったように思うのだが、おそらく品種改良の結果だと思う

剪定という作業が、収穫の成果に大きく影響する
トマトであれば「脇芽を摘む」作業が必須であり、放っておけばジャングルになってしまう

果樹であっても剪定は重要で、剪定次第で収穫量が異なるといってもいいくらいだ
日照を求めて混み合う枝葉を整理して幹に日照を当てるくらいの空間を作る

栽培は経営に通じるところがあるから面白い
うまくやれば投資コストを相当上回る収量を得られるからだ

こう見てくると政治に通じる面もあるかもしれない
環境を整備してあげれば思い通りの成果が得られる、あたかも意図したかの通りに経済政策も成功したかのように、端から見れば鈴なりでなくとも成功しているのかなぁ、と

しかし本当に求めているものは青臭い香りがプンプンして酸っぱいトマトらしいトマトであって、近年品種改良されたものではないかもしれない
何でもいいやトマトであれば、と思いつつ食してみれば期待外れだったり、思いの外甘かったり、と

政治の世界では、良かれと思って投じた一票が本当に期待通りになるのか
候補者を真に理解して投票しているわけではないのも辛い

憲法改正以前に多数決という原則を考え直さなければと思うこの頃




Traveling Wilburys - End Of The Line

Traveling Wilburys - Handle With Care

New Blue Moon - Traveling Wilburys

the traveling wilburys where were you last night

大きな矛盾を抱えて自分だけの道を探す

2016年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム


政治と宗教の話はしないほうがいい
仮に総論賛成であったとしても、各論で意見が分かれてややもすれば友を失いかねないからだ

音楽を通じて政治的な主張をしてきた歴史がある
ピート・シーガーの「花はどこへ行ったの」のように反戦を象徴する歌を作り、それがヒットする

米ソがベトナムで代理戦争をしていた時代、命を失ったり体や心に傷を負って帰国した人たちやその家族たち
ボブ・ディランやピーター、ポール&マリーが歌う歌にはそうした平和への願い、思いを共感できる要素があった

日本でもベトナム戦争に対する批判をはじめ、学生運動が起こった
拓郎の作った歌はそうした活動家の気持ちを代弁するかのようであり愛唱された

ジョン・レノンはあからさまに音楽活動で平和を訴えた
「Revolution」にしても「Imagine」にしてもベッドインパフォーマンスにしても世界に向けて発信した

日本でも忌野清志郎のライブや日の丸レコーディングなどロッカーとしての生き方が共感を呼んだ
今でも彼の命日には彼の歌を歌うファンがいる

若き日の太田光氏に面談を申し入れた清志郎氏のエピソードが興味深い
一票で世の中が変わらないなら、、、と書いた彼に物申す

ミュージシャンが直接政治に関わるケースがある
沖縄の喜納昌吉さんが記憶に新しい

その沖縄に居住する元ミュージシャンが選挙に立っているという

選挙、そして政治に対するスマートさを庶民は求めている
清廉潔白で高貴な人でなくともいい、人間味溢れる魅力のある人がいい

政策に一つくらい誤りがあったとしてもいい、が訂正する勇気も持っていてほしい
そして音楽を集団催淫効果の手段として利用しないでほしい

真のリーダーシップとは演説やパフォーマンスでは分かり得ないことだと思うのだ
だからミュージシャンは、音楽で思いを伝えようとするのではないか

音楽はわかりやすくて高等な伝達手段なのだ


原子力は要らねえ!電力は余ってる!♪忌野清志郎 サマータイム・ブルース

ラストデイズ 「誰にも歌えない歌~忌野清志郎×太田光」

20160630三宅洋平 選挙フェスDay9 多摩センター「この機会をぜひ革命のために使って下さい」東京都選挙区 参議院選挙