名曲はいつまでも心に残る。
Iさんからのリクエスト曲「逢いたくて逢いたくて」は宮川泰先生の名作、演奏しようとすると意外に難しい曲ではないだろうか。
一度発表した曲をタイトルと歌詞を書き替え、園まりさんが歌って大ヒットした。
若い園さんへの注文はきっと大変だったのだろう。
さらに遡って「港が見える丘」は、ジャズの香りもする名曲だ。
宮川先生がこの曲をモチーフに「逢いたくて逢いたくて」を作ったという話を最近知った。
音楽において、モチーフとか雰囲気、なんらかの情景は重要だと思う。
演奏するにあたって初心者はいきなり譜面通り弾き始める。
それでいいのだが、聴いていて落ち着かないのは余裕がないからだ。
長く音楽をやっていると、季節の変化や自身の心中やらを演奏に反映することができるようになる。
いや逆にそうした心の表情を表せないと音楽にならないのかもしれない。
先日ウクレレを始めたばかりの方が「(人前で)演奏しようと思う」と言いだした。
「ほう!」
「どうせ聞くのは認知症とかの老人ばかりなのでどうってことないから」と。
まだコード「G7」を押さえるのに時間がかるレベルなのに、だ。
これを聞いて「もし度胸試しという意味でやるのならご主人の前でおやんなさい」と言った。
譜面を凝視しながら演奏するってことはたとえ相手が認知症の方だろうが失礼だ。
「ズーッと譜面を見て演奏している人の演奏をあなたは聴く気がしますか?」
「そうは思わない」
そして譜面を見ないで演奏することに挑戦していただいた。
簡単な曲ではあるものの、できた。
やればできるのだ。
譜面を見ながら演奏する習慣をつけてしまうと「見ないと演奏できない」ことになってしまう。
もうひとつ歌詞の間に「chord name」を書いてないと弾けない歌えない習慣もマイナスだ
一見便利そうだが、「chord name」は書いてあっても小節数が書いてないので独りよがりの演奏になってしまう。
またこれも見ながらでないと演奏できない癖がつく要因となりかねない。
「休符の存在が理解できない」人も多い。
最初に「休符」があって始まる曲は多いものだが、うろ覚えの曲だと無視して歌い始めてしまう。
脱線したが、バラードというのか、情景を語り、思いを切々と訴える佳曲は好きだ。
恋する人に一生懸命思いを伝えようとする、その気持ちがないなら音楽の価値は半減してしまう。
下手でも気持ちがこもっているからこそ伝わる。
伝えようとしない、伝わらない人は不幸だ。
「利のやつこ位のやつこ多き世に 我は我が身のあるじなりけり」
百年も前に読まれた句が心にしみる。
港が見える丘 ちあきなおみ
逢いたくて逢いたくて 園 まり
みんな夢の中 ☆高田恭子(2008)
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