「○○はご遠慮ください」と書かれた注意書きを、よく見かける。
「○○」に入る文字と言えば、喫煙、飲食、携帯電話、写真撮影な
どいろいろである。
その気持ちは、よく分かる。しかし、「遠慮」というのは、いっ
たいどういうことなのだろう。「遠慮するかどうかは、こちらの主
体的判断によって決めるべきものだ。あんたに言われる筋合いはな
い!」と、ツッコミの一つも入れたくなる。
本当にやめてほしいのなら、もっとストレートに、「○○禁止」
と書いてくれた方が、よほど気持ちがすっきりする。それに、禁を
破ろうとしている者は、その断固とした姿勢におののき、おのれの
犯そうとした罪の深さに呆然としてしまうに違いない。
とは言っても、これもたまにあればこその効果である。「○○禁
止」という2文字が、至る所に見受けられるとすれば、それはうっ
とうしいの一言に尽きる。
美観の上からも、はなはだ問題があるだろう。人間という生き物
は、ひねくれた動物である。「禁止」と書かれてあると、かえって
反発を感じ、わざと禁を破ろうとする無法者が出てこないとも限ら
ない。
それでは、もう少し表現をやわらげて、「○○はやめてください」
というのはどうだろうか? これも、一見なかなか良さそうに見え
るが、やはり命令口調がそこはかとなく漂う。
かと言って、「もしよろしければ、○○はやめていただけないで
しょうか」では、あまりにも冗漫である。これでは、本当にやめて
ほしい意思があるのかどうかさえ、疑わしくなる。第一、あまりに
も文字数が多いので、看板だけが異様に大きくなって、目立ちすぎ
る嫌いがあるのだ。
となると、どうだろう。結局のところ、「○○はご遠慮ください」
という表現は、案外ましな部類に入り、生き残っていく可能性が強
いのかもしれない。
今年もいよいよあと12日ですね。
そろそろ年賀状を書かなければと、思いながら毎日ずるずる延ばし
ているところです。
「○○」に入る文字と言えば、喫煙、飲食、携帯電話、写真撮影な
どいろいろである。
その気持ちは、よく分かる。しかし、「遠慮」というのは、いっ
たいどういうことなのだろう。「遠慮するかどうかは、こちらの主
体的判断によって決めるべきものだ。あんたに言われる筋合いはな
い!」と、ツッコミの一つも入れたくなる。
本当にやめてほしいのなら、もっとストレートに、「○○禁止」
と書いてくれた方が、よほど気持ちがすっきりする。それに、禁を
破ろうとしている者は、その断固とした姿勢におののき、おのれの
犯そうとした罪の深さに呆然としてしまうに違いない。
とは言っても、これもたまにあればこその効果である。「○○禁
止」という2文字が、至る所に見受けられるとすれば、それはうっ
とうしいの一言に尽きる。
美観の上からも、はなはだ問題があるだろう。人間という生き物
は、ひねくれた動物である。「禁止」と書かれてあると、かえって
反発を感じ、わざと禁を破ろうとする無法者が出てこないとも限ら
ない。
それでは、もう少し表現をやわらげて、「○○はやめてください」
というのはどうだろうか? これも、一見なかなか良さそうに見え
るが、やはり命令口調がそこはかとなく漂う。
かと言って、「もしよろしければ、○○はやめていただけないで
しょうか」では、あまりにも冗漫である。これでは、本当にやめて
ほしい意思があるのかどうかさえ、疑わしくなる。第一、あまりに
も文字数が多いので、看板だけが異様に大きくなって、目立ちすぎ
る嫌いがあるのだ。
となると、どうだろう。結局のところ、「○○はご遠慮ください」
という表現は、案外ましな部類に入り、生き残っていく可能性が強
いのかもしれない。
今年もいよいよあと12日ですね。
そろそろ年賀状を書かなければと、思いながら毎日ずるずる延ばし
ているところです。