大モンキーさんが納車されて 10日経ちましたが
雨の日が多くてなかなか乗れずじまい( 22日現在 )
早いところ慣らし運転を終えてトバしてみたい!
って事で 休みの土曜日( 22日 ) 一週間前と同じく 6時に家を出て銭婆さんと海に行って
一時間程 波打ち際を歩いてきて 家に帰ってシャワーを浴びたら早々に大モンキーさんの慣らし運転を始めます
別に何処に行くアテもないのですが 三条方面に走っているうちに
若くして亡くなった友達の墓参りに行きたくて バイクを進めました
この友人は毎年春に墓参りしている友達とは別の友人です。
墓参りとは言っても もう40年以上経っていて 墓が何処にあるのか
その友達の家は まだあるのか、 など全く分かっていません
昔と違って 三条の街並みも随分違って来てますので たまに行くと迷子になりそうです
三条の市役所前
小学校の時に この市役所が建ちました。
地元小学生のオイラ達は ここで公園代わりに遊んでました
写真の階段の脇の屋上から 飛び降りた事もあります
今思うと 凄い事して遊んでたなと思いました。
役場からすぐ、友達の家があります
昔と変わらずそのままの形で家がありました
表札を見ると もう微かに読めるくらい滲んでますが 確かに友達のお父さんの名前が書かれていました。
「 おお、まだこの家は友達の家族が住んでいるんだ!」と、少し感激!
40年前、この家を建て替えた時に そのお母さんが
「 この家はSが亡くなって そのお金で建てた家、 そんな事よりSに会いたい 」と泣いていた姿を思い出します
郵便受けの下に 呼び出しのピンポンのスイッチがあります
そのスイッチを押すと奥で「 ピ-ンポーン♪ ピーンポーン♪ ピンポーン♪」と三回音が鳴りました
しかし、中に誰かいる気配はありません
こう一度 鳴らしましたが やはり誰も出てきませんでした
留守なんだなと諦める事にしました
それでも彼の家族の家がまだ健在だった事が分かっただけでも進歩です
亡くなった友達は小学校の4年生の時からの近所の友達で
高校も一緒でした
高校受験の時に 格好付けて「 受験に自転車乗って行かね?」と言って二人で
隣の燕市に自転車に乗って行ったら 迷子になって
中学側と高校側で 『 受験生が来ない!』と大騒ぎになりました^^;
あの時は何とか受験が始まる時間ぎりぎりに到着して 事なきを得る事が出来ましたが
その後も 色々と喜怒哀楽がありまして
彼がいなかったら絶対に高校は卒業出来なかったでしょうし
真面目な性格の彼に対し チャランポランのオイラ、
随分 迷惑をかけました。そんな彼が突然の事故で亡くなり
当時、厚木で仕事していたオイラは 買ったばかりのRZ350で 泣きながら帰ってきました
彼の家からも超近くにあったオイラが住んでた家は今は駐車場になってました
道は分かるけど景色が全然違うので変な感覚になってしまいますね
ハタチ過ぎたばかりのオイラは 彼の家に行って手を合わせる事とか一切せずに今まで来てしまいましたが
こんなオイラでも 歳取ると 昔の思い出がよぎって 昔世話になった友達を思う様になりました
他の知り合いとかに 彼のお墓とか 聞きましたが誰も解らなかったので
葬式したお寺にお墓があるんじゃないかと行ってみました
東別院、とても大きなお寺です
お寺の形はそのままですが 周りの景色が昔とは全然違ってました
大モンキーさんのエンジンを止めて ヘルメットをヘルメットホルダーに入れようとしたら
ヘルメットホルダーが奥に引っ込んでるので
ヘルメットのフックが掛からず 仕方なくバックミラーに掛けました
ホンダさん、何やってんだよー! ヘルメットも付けられないなんて最低だよ、
それで ヘルメットホルダーがハンドルに付けれるタイプのやつが売ってんだ!
お寺の脇にはお墓が沢山ありましたが・・・
友達の姓が書かれたお墓は一つもありませんでした
残念、見つけられなかったか(=_=)
子供の頃、ここでよく遊んだなぁ
奥には大きな池があって ソロバン塾サボってよくザリガニ釣りしてたなぁ
父ちゃんに見つかって殴られた事もありました^^;
このお寺ではたくさんイタズラしましたが 今考えると とんでもない悪ガキだったな
オイラの青春の街 本寺小路
この風景、ここからのアングルだけは あまり変わってません
一之木戸商店街、昔の活気はもう全くありません
小学校低学年の頃、住んでいた場所
神戸から越してきて 冬になったら二階から出入りしてたのを覚えてます
こんな狭い道、雪が積もると今でも大変だと思いますが どうやって行き来してるんだろう
その頃通っていた小学校は今は何かの施設になってました
体育館の形だけがそのまま残ってます
関東に就職するまでここで空手やってました。
今回はファミリーバイクだからこそ ふらりと立ち寄れる良い時間となりました
慣らし運転のはずが いつの間にか思い出旅行になってしまいました
まだ時間があるので 少し遠回りして行こう
田上の道の駅に寄ると
大型バイクが沢山泊まってる!
昔、自分が大型バイクに乗ってる時は 125㏄之バイクなんて目に入らなかったのに
今、こうやって 小型バイクで楽しんでいます
バイクのことわざに 「 カブに始まりカブで終る 」というのがありますが
今まさにそんな感じですかね^^;
今のオイラにゃこれで充分かもヽ(^。^)ノ
今回の燃費 前回と全く同じ リッター 65キロでした
リッター70キロは行くと思ってましたが 少し残念、
多分これが 大モンキーさんの実力なのでしょう
もう少し慣らし運転をしなきゃですが 早く全力で走りたいですぅ
本日、ブログ開設15年になりました
考えると長い間、ブログ作って楽しめたなと思います
今は、ちょっと疲れたかな~
って事でこの先 更新間隔が広がるかもしれません
それでも見捨てずよろしくお願いします^^;
大きいと思っていたのが小さかったり、遠いと思っていたところが近いと感じたり・・・
でも階段脇は高いと思いますよwww
小さい頃はやりましたね~(^O^)/
そんなお友達が居て、しかももう会えないとは淋しいですね。
でもそういう経験を乗り越えて今のパパさんが居るのでしょう。
お友達が生きていたらまた違った人生だったかも!?
お家の方に会えず、お墓が判らなかったのは残念ですね。
私も先に☆になった友達をふと思い出します。
はい、やっぱ歳を取ると小さいバイクが良いですwww
50㏄からスタートしたバイク人生、結局またそれに近いバイクになってますwww
てか、リッター65Kmってスゲー\(◎o◎)/!
留守じゃなかったら思い出話もできたのにざんえん
家があるのがわかったのでまた行くこともできるので
収穫ありました
真面目だった子が数十年後ニュースに出てる
悪いことして出てる 年も名前も一緒だからそうなんだろうなって思うこともあります
子供んとき悪い事やりつくした友人たちは今では社長やお偉いさんになったり商売成功してる
やっぱり子供の時は色々と経験しないといけないんですよ(笑)
たまに会って話すと子供たちには聞かせたくない話いっぱい出てきますけどね(爆)
バイクそろそろ小さいのに替えようと思ってるのに
北海道行く毎にまだ大丈夫って伸ばしてしまう
今年78歳の大型のったライダーさん元気で走ってるの見るとまだだ老い丈夫かなって感じて延び延びになる
ガソリンも高くなるからそろそろ替えないといけないかな
最近はブログよりインスタをする人が多いみたいで
私の娘・息子 それになんと夫も インスタをやっています。
娘など 自分の子供の顔を晒しまくっていて
「大丈夫なのか?」と心配になります。
時代の流れでしょうか。
ところで パパさんのブログ名の下に ママさんの年齢が
51才と書かれていますが もしかしてブログ開設
20周年だったりして?
カブに始まり、カブに終わる、
何だかわかる気がします^^
大モンキーさんの慣らし運転、
思い出巡りの懐かしい小旅行になりましたね^^♪
しかもバイクで! なんかいいなあ
私もマネしちゃおうかしら…
ってずっとここに住み着いているからなあ…
でも、こうして、気楽に一人で自分探し自分確認の旅
すごくいいですね!
幼少のころに住んでた場所に辿り着けないと思う
面影がなくなってたら寂しいね。
街の景色はすっかり変わってしましました。
今回、街を回ったら街の中がひと回り小さくなってしまった気がします
この階段は 良いジャンプ台になりましたが
近所の白い目に耐えきれずやめました^^;
自分の青春記において 彼がいたから今があると言っても過言ではありません
それなのに今まで墓参りの一度も行った事が無いなんて
今さらながら彼には申し訳ない気さえします。
やはりね、歳と共に自分に合うものって変わって当たり前だと思いますね
気付くと凄く楽しく遊べますから(^◇^)
街の景色がすっかり変わってしまってた中
家がそのままの形で残っていて ホッとしました。
良いも悪いも、何かで目にすると
「あいつだよー!」って、瞳孔が開いちゃいますよ、
オイラは子供がいないので
昔の笑い話みたいな事を沢山喋られずにいて良かったかも^^;
ベルさんはまだまだナナハンで走り回ってください
まだ大丈夫ですから♪
ガソリン高いけどベルさんのバイクは燃費良いので大丈夫です
それまでが限界ですね^^;
ですからインスタまで手が出ません
ああ、’51は年齢じゃなくて
1951年生まれと言う事だったんですよ
ワカメさんは2000年生まれでした
失礼しました^^;
大モンキーさんの慣らし運転でなければ
こんな場所をトロトロと走るなんて思いつかなかったと思います
とても懐かしいプチツーリングが出来ました。楽しかったです♪