八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

弔う心

2010-07-17 11:24:54 | インポート
自分に近い人の死ってなんだか肉体は無くなっても…まだ実感がわかない。

『亡くなった』て事は肉体に触れられないし、声も聞けず悲しく寂しいでも今までどうりに近くに居る気がします。

だけど枕経・通夜・葬儀・火葬場と弔いをするに連れて心の整理がついてくる気がします。


そりゃあ。まだまだ次々と行う事をこなしてるだけで非現実な感じはあります。
有名人の方が葬式も戒名も墓もいらない!

との事ニュースから流れて来ました。

最近『故人は無宗教なので』との理由はよく聞く。

でも『弔いの心』を故人は生きてる間に感じたり行ったりしてなかったのだろうか?

『弔い』をする事により救われた残された方々と沢山接してきたし。
私自信がお大師様の教えに出会い救われている。

『無宗教なんで』と話してた方々とゆっくりと色々なお話しをして一つづつ説明して行くと『こちらで弔いをして下さいますか?』となる事もある。

『無宗教』とただ自分達が思っていたけど『故人には、良いところに逝って欲しい』と言う心は有ったのだ、だから『無宗教』じゃなく今まで家族として遠くから寺と関わった事しかなく。


自分が施主(喪主)になって自分が寺と関わって『私は実は無宗教じゃないんだ故人を弔い供養したい』と気づく方もいらっしゃいます。


大切な人を『弔う』事は忘れていた大事な思い出を思い出したりする癒やしの時間にもなります。


祖母が亡くなった実感はまだ無い私ですが…。

『頑張らんとね』と言い続けてくれた言葉を胸に『弔い』をしたいと思います。

祖母の死から、どうしても文章がまとまらず…。

ブログを休んでしまいましたm(_ _)m

この文章もダラダラと長くなりスミマセン。

また祖母が寺の娘に産まれ坊守として、お寺に来た方達に優しい笑顔で仏様に変わり悩みを聞いたり。
一緒にお参りしたりとしてきた事を私も引き継いでいきたいです。

『ちょっと。お茶どうぞ』の心を忘れぬようにしたいです。