八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

お寺の存在意味とは?

2015-01-13 22:02:30 | 日記
お寺とは亡き人を思い出し御供養すると共に御供養の後には、御供養した皆でご飯を食べたり、お茶をしたりしながらあたかも、そこに亡き人の居たときのように皆が集いその方の思い出を話したりして行くことにより、残された側の方々の絆を強めたりする役割もあると私は思う。


話したりすることで繋がれていく事はつよく感じられる。


インゲさんも出きるだけ時間のあるときには一緒に時を過ごす。


嬉しいことも哀しい事も知り合ったなかであるからこそ色々話がでてくる。


今日は夕方にスーパーで昔来ていた信者さんのT
さんが「アキちゃん久しぶり~」と声をかけてくれた。


その方のお子さんとは同年代だったのでよく遊んだ。


最近の子供さん達の近況に付いて良いことも悪いことも教えてくれた。久しぶりにあったのだから時の挨拶ですみそうなのに少し深いところまで話してくれた。


なんか何年も会ってないのに不思議な関係だなあ。と思ったそれが祖父や父が築いてきたうちのお寺っぽさなのかなあ。とも思った又、今日あったTさんのキャラもあるのかもしれないけど。

先日はTさんの知り合いのSサンが今日はTサンの友達のHサンとTサンに繋がってる方々がお参りに来てたので不思議だなあと思った。


うちの寺は信者寺なので来たい人が来たい時に自由に来られるだから何十年ぶりとかって方も結構いらっしゃる。「昔きたときには、アナタはお母さんの御腹の中でしたよ」なんて事はざらであるが…。

そんなかたは皆さん毎月来ていたような感覚で話されますが。


お寺の存在感てなんなんやろなあー。


でもあり続けることに意義があるのはわかる。


寺はその人その人によって存在価値は全く違うんだろうなあ~と当たり前だが改めて思った。


今日は朝の法事の後はとにかく掃除を頑張った。

掃除をすると心がすーっとするから善い!!


寺は一に掃除二に掃除だ!!