『あんたは、もう沢山拝んだからお寺にもいかんでも天国いけるわ。自分で行けんのんやけんしかたないなあ。と息子に言われた。今からは息子に面倒をみて貰わんといけんけん。お寺にもいけんからゴメンネ。』
と寂しげなお電話…。
お寺とはご先祖さまを拝むだけではないんですよね。
息子さんは、お寺はせんぞ供養するところ。
と思ってるんですね。
お寺とは今ある自分の悩みが少しでも減る修行の場です。自分の悩み他者の悩みが無くなるよう拝むところ❗
そこが伝わってないんですよね。
でも息子さんになぜか遠慮して今さら話せない。
日頃から会話をしてるようで真面目な宗教や思想な話を日本人はしてないんだと思います。
信者さんは私には何故信仰の道に入ったのか自分の生い立ちだけでなくご先祖様の歴史まで詳しく話してくれてたのに子孫には伝えてなくて。
なくなられた時に少しお話しすると『えーっ。それは知りませんでした。そんな事まで話してたんですな。』と驚かれます。
先日も『こうやって亡くなった嫁さんの供養は私がこれるあいだは、来るけど私が死んだら供養もしてくれんじゃろ。』と言うので『今からは私が死んだらこうして~👍️と伝えるかノートに書きよー。』と言ったら。
『ノートみても、あっ!こんなこと書いてらー。みてないことにしよー。』で終わるよといって皆で大笑いしました。
もしご子孫に信心がない場合はやはり、元気なうちに信頼できるお寺に永代経(お寺があるかぎり供養してくれます。)を頼むべきだとわたしは思います。
やはり、そのようなことは実際にございます😭
年を取ればとるほど友も少なくなり本心を話せる所も少なくなります。
お寺がこころと命の拠り所の方も多いと思います。
『年取って一人で行くのは危ないけんし、よーう。参るだけ参ったんやけもういいやろ?』でなくて是非月に一度でもお寺に一緒に連れてきてあげてください。
信心はいくら拝んでも尽きません。
そして、お子さんやお孫さんがいらっしゃる方々は信仰だけでなく自分の事を何度でも伝えてください。
伝えることから始まるんだと思います。
最近は年をとって遠方の子ども三のところに行かれた方も増えていてお電話やお手紙でのやり取りをさせていただいてます。
『コロナが終わったら行くけんな。元気でおってよー。』と言われます。
『お互い元気で居りましょう。般若心経が唱えられんときは、ご真言だけでも唱えりよー。心が落ち着くけん。お寺にこれんあいだは八面山から御供養させていただくけん。そっちはそっちで、参ってね😃』とお伝えしてしめくくります。
信心があればこそ乗り越えられた事が沢山あります🎵
今日は雨がやはり降りだしたなあ。
インゲさんは井戸の水神上げのお払いです。
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