「友達がいない学校でお弁当食べる人がいない」
「共通の趣味の人が学校に居ない」
「疲れる」
「整形したい」
「家にお金がないから、好きな学校に行けない」
「自分がきらい」
思春期の悩みのお参りは沢山ある。コンプレックスの悩みも多い。
親からしたら子どもは可愛くて可愛くてしかたないから。
「何言ってるの?あなたは最高よ。」とそこまで悩んでるとは思わないこともありますが、死ぬほど悩んでる子もいます。
そして、たいてい私をはじめ大人になった人は同じような悩みを乗り越えてるかなあ。
乗り越えなることでもないなあ。と悟ったり。
悩みを抱えてる本人の横にいる、お母さんやお父さんの方が本人より辛いと悩んでるように感じます。
思春期の悩みは親では解決してあげられないから。
親は子の為なら自分が我慢したり無理してできることならしてあげたいものだ。
「甘やかしすぎ」と他者から思われてもね。
寄り添うことが大切ですよね。
思春期に悩んでたことなんて、なんともないわー。
ではなく、沢山のけいけんを積んだからこそ理解できるんだけど。
そこを、今悩んでる当事者に正論を振りかざしても意味はないんだけど、大人になると自分の中の正論振りかざしがち。
そして、自分も井の中の蛙だということを忘れてはならないと日々感じてます。
そして、人間はみんな違う。
すべて同じ考えや感覚の人はいないけど、その中で共感したり楽しんだりすることが人間にはまた、大切なんだと。
人間は一人で産まれてきて一人で仏の世界へ帰ってかえる。
人間は、生まれた時から苦のはじまりだ。
とわかっていても、側に居てくれる人を求めるし、いてほしい。
コレは自分の考え方で思い悩んでる悩みのことであって。
昨日の小学6年生のいじめでの自殺のニュースは腹正しくて悲しくてたまらなかった。
「ちょうど帰省中の甥っ子に、もしいじめられたらママにすぐにいいよ。
学校に無理していかなくていいんよ。死ぬほど嫌なことされたら、いかなくていいんよ、がっこうは!」と話しました。
人はなぜ、いじめをするんだろう?
いじめをする側には何か、心の闇があるのか?
許せないなあ。
そしてニュースでは、死因はイジメと直結しないと学校側が言ってるというのが許せない。
次の被害者が出ぬよに対策をして欲しい。
行き場がない時は、ぜひお寺に来て下さい。
お寺は、逃げ場というか、希望を持てる場であります。
いろんなスペシャリストが集う場です。
春休みに入りました。
もし嫌なことがあれば、お寺に来て話してみてください。
学校が始まる前に命を絶たないで下さい。
あなたたちの未来は沢山、思い描けます。
あなたが思ってるイメージより沢山の選択肢があります。
死なないで下さい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます