『あんな人と思わなかった。』
『裏切られた。』
『あの人だけは、わかってくれると思ってた。』
『私は一生懸命にしたのに最後はうわべだけの人を選んだ。私は良いように利用されただけやった。』
よくよく考えてみると向こうは最初から、そんな気は無かったんだ。
よくしてくれるから、ありがとう☺️
ってな感じでしょうね。
お寺に来られる方は優しい心の持ち主が多いので、こう言った話をよく聞きます。
『あー。貴方を最後まで選んでれば良かったのに…😭その方は自分が不幸な選択したのに気がついてないよ。貴方はあなたらしく最後までとても親切にしてたからまちがってないんだから。拘りをすてて新しい事に力をいれるべきだよ。マイナスな考えは忘れるべきだよ。』
『本当よくしたとおもうよ。お金も時間も心も全て良い心から助けてあげたのに向こうはもっともっと。としか頭がないからしかたないよ。』
『最初から向こうは貴方に感謝じゃなく、してもらって当然とあなたが、あまりにもよくしてあげたから高飛車になったのかなあ?貴方は忙しいのに善く頑張ったよ。これからは自分の幸せの為に生きてね。』
奉仕の精神で彼方も善の心で私を理解してくれてるわ。私を頼りにしてくれてるから可哀想だし。と様々なサポートをしてきた上での
『もう、来ないでいいから』
と言われた。
と心がズタズタになったYさん。
『いつも、あんたが居てくれて助かるわー。ありがとう。あなたが一番やわ。と言ってたから、一生懸命させてもらったんよー。何がほしいと言う訳や無いんやわ。ただ感謝してくれてるから。次はこうしてあげたいと、思ってたんやけどね。裏では悪口言われて来んでも良いのに、勝手に来て助けたつもりか?と言われようよ。と回りの人から言われたけど信じてなかったら、本人からもう、○○さんが善くしてくれだしたから来んでもいいよ。来んで。』と言われて。
何がなんか?わからんくなった。とのことです。寝込んでやっと寺に来れた。
見るだけで疲れが溜まってるのが伝わります。
世の中いい人だけや無いんやなあ。
と聞いてると悲しくなりました。
彼らは、見返りは求めてたわけではないけど。
自分がしてることに相手が感謝してる。と心から信じてた。
同じ心の持ち主だと思ってたけど二面性があったんですね。
そして、きっと私をわかってくれてる!!
私しか居ないんだから。
と頑張ってきたけど向こうは最初から裏切るもなにも自分しか考えてなかったんですね。
ひとは私と同じ考えだと思い込んでしまいます。
そして、傷つく。
最近こんな方が多いです。
信仰してる人は心が綺麗だから傷つく事が多いかも知れません。
普通は知らん顔してることも積極的に手助けします。
でもそれが信仰の道なのかなあ?と最近思うのです。
でも貴方が積んだ特や善行は本当の物です。きっと回りで分かってくれてる人はいると思いますが、もし貴方が誰も私の事をわかってくれてない。逆に悪者や。
と思われたら。
お大師様や御不動様は見てくれてる。
と思い出してください。
正しい。と言うのは自分も相手も基準が違うから自分に正しい事を続けてくことも八正道に基づいてるか?
確認して見てくださいね。
仏から見た正しいこと。
貴方の善の心は捨てないでくださいね。悪に支配されないでくださいね。
と笑って言うと。
『そうやね。はがいい!!けど、そういう人じゃったから仕方ないな。もう、精一杯したけん。知らんで良いかなあ。』とお百度をされて帰られました。
信仰で救われることも信仰心があるからこそ傷つくことも多いと思います。
でも、菩提心があるから仕方ないんですよ。
信仰とは人助けしながらも自分の修行を積ませてもらってるんですよね。
でも、無理は禁物。綺麗事ではすまないこともありますしね。
と最近同じようなことばかり話してます。
と言うことは善行を積んでる人が周りに多いと言うことですよね。
素晴らしい