「この上何が欲しい」(木枯紋次郎の歌の歌詞)
この言葉をどう捉えるか?
私の解釈は、
まだ甘えるのか、という責めと捉えた。
楽を求める自分に
もうこれ以上の楽はないぞ、と捉えた。
奈落の底に落ちてあとは死ぬだけと感じてる自分に対して、
まだ生きてるじゃねえか、というトドメの言葉。
「苦しいか、じゃあ死ねよ、この上何が欲しいんだ、」というトドメの言葉。
でも、その言葉をきき続けてる限り、まだ自分は死んでない。
聞こえなくなったら、それで終わり。
楽になる。
楽になってないことはまだ生きていること。
その証しが痛みとなり自分を生きてると教えてる。
だから、
生きろ、そしてまだまだ苦しめ、と。
地獄にはまだまだ辿り着いてない、と。
それが、
今が最上の楽な感覚であり、生きてるだけでもっと苦しい苦痛がこのあとに続くのに、
この上何を欲しがってるんだ?と。
生きてる、それだけが最高の生きる証しだろう、と。
それ以上望むことは「死」しかないぜ、と。
それを言葉で顕してる、と。
それが私のこの言葉の捉えかた。
「この上何が欲しい」
ドラマの木枯紋次郎は殺伐としたこの世の旅を綴ってる気がしました。
そして、づっとそれが続いてる。
生きてるかぎり。
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