しなければならない事を書き出して、それを順番に否定してゆくと本質が見えてくる、と考えました。
でもって、それが例えば「遊びの哲学の本質」であり あなたの「したい事の本質」です、と。
そういう声が聞こえてます。
しなければならない事て一体何なのでしょうか。
それって、「どうしてしなければならないか?」
それって「誰かに強制されているのか?」
それは結局は自分が自分に課してることに他ならないでではないのでしょうかね。
自分が自分に強制してるって事。
では強制されなければどうなのか?
当然放っておいたら「自らはしない事」でしょ。
わざわざ「強制されなければしない」事です。
つまりは、本音で語れば「したくない事」です。
たぶん自分の意志で、「したい事」ではありませんよねぇ。
これを整理して考えると「しなければならない事は、そもそもしたくない事」でしょ。
したくないことをするのですから嫌な事ですよね。
そうなると、「しなくて良い方法はないものか?」、と悩みます。
と、いう事で、悩みの本質の一つにはそういう部分がある。
じゃあ、しなければ良いじゃんか。
でも、それで良いのかな?
矛盾じゃん。
意味不明。
だから整理しておかないと解らなくなる。
では、「そうで無いものは何?」かも考える必要がある。
仕事は(本当はしたくないけど)しなければならない。
そうそう、それそれ。
それがしなければならない事の代表例ですね。
じゃあ
お腹が空いたら(食べたくないけど)食べるっていうのは?
それはちょっと違う。
お腹が空いたら「食べなければならない」事はないですよね。
食べなくても良い。
お腹が空いたら、ただ、食べてるんです。
その場合は強制ではない。
身体が食べよう!、と思うだけ。
更に別の角度から考える。
幼児がオモチャを口に入れることがある。
あれって、ただ口に入れよう!と意識的なことは関係なくそうしてる。
学生がウチに帰って無意識にゲームのコントローラーを手に持つ行為もそうでしょ。
で、飽きたらやめられるんですよ、これは。
やってもやめても良いし、そもそもしなくても良い。
もし、ゲーム制作会社の社員が仕事でコントローラーを手に持ち始めると、最初は遊び感覚でやってますが、段々と給料のために強制的にってなる。
そうなると段々と嫌になってくるんでしょうね。
別の事がしたいって。
最近の若者の人気の仕事のトップがYouTuberがそうです。
元々は、あれって、遊びだったような気がします。
もっと遡れば、パソコンも最初は大勢の若者が遊びでやってるって印象でした。
そこから始まって今は殆どの人がパソコンで仕事をしてる。
パソコンの学校もある。
漫画、アニメの世界もそう。
あそんでるウチは良い、強制されていないから。
で、そこから先ですよ。
仕事になったら強制になり、嫌になる(事が多いと思います)
で、仕事だけでなく『しなければならないこと』は他にもある。
学校に行くこと。
朝早く起きなければならない事とかもそう。
朝、「人に会ったら挨拶をしなさい」、って言われて言う挨拶など。
気心知れた友人ならば言われなくても『ウイっす』
それは強制ではないから、別の言葉でも良いし言わなくても良い。
だから自然に言ってるだけ。
しなければならないことはしなければならないのか?
本当にそうか?
しなくても良くないか?
じゃあ、しなければならない事を整理しよう。
そして、それをできるだけ否定してみよう。
そうしたら、自分の本当にしたいことが見えてくるんじゃないか?
そう思っています。
例えば、殺人者が「あいつがいなくなれば俺は救われる」と思って殺人を犯す。
あいつを殺さなければならない、と思う。
そこを否定すると、
「あいつが居なくても居ても どうでも良いこと。
殺さなければならない、事はない」、とする。
物語は始まらないことになりませんか?
理由づけなんてたいていが後から作ってる事ですから。
あいつの自分に対する存在価値を無限にゼロにしてしまう。
だって見知らぬ人が地球の裏に居て何をしようが、その人のことなんてどうでも良い。
そういう人に対しての行動なんて、しなければならない行動は存在しない。
もし、借金取りに追われてるならば、「借金を払わなければならない」、ことを否定する。
(それって社会的にダメでしょうが、そこは無視する)
「ダメなことはしてはならない」事を否定する。
まぁ、それって自分に返ってくるよ、と、それも否定する。
こういう仮説は やってみないと解らないし、例えば幼児はそんな事は知らない。
この世の全てを自分は知ってるわけではないから、本当にそうかどうかは、自己判断でしょ。
この世にはTAX heavenなんてものも存在してるんですよ。
あれなんか、偉い人がやってる。詐欺行為じゃん。
立派な人は詐欺をする?
いみわかめ、ですわ。
だから、今ここでこうしてる事も含めて、強制からの脱出です。
言い訳なんていつも後からついてくるしね。
特に私は「しなければならない症候群」の罹患者を自負してます。
症状を「しなくてもいい症状」に切り替えられれば良いなぁ、と考えたわけです。
「しなくても良い症候群」
特に私の場合は時間に追われるとあたふたして疲労困憊するので、「時間通りに間に合わなくてもいい、むしろ遅れる方がいい症候群」ん?いや「間に合わないときっと良いことがある症候群」
それに罹患しようと思ってます。
ところで、
じゃあ、しなくてもいいって、何もしなかったらどうなの?
したくなりますよ、きっと。
何かを。
どうせ、何もしないなら人生面白く無いじゃんか。
と。
そうですよ。
人生は、死ぬまでの暇潰しに過ぎないのでしょうから。
放っておくのが一番良いのでしょう。
最終的には、自然に戻るという事なのかもしれませんなぁ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます